モラトリアムヒューマノイド。 -17ページ目

モラトリアムヒューマノイド。

ブログの説明を入力します。


ふと思うと



今まで自分が見てきた「人」というのは



うわべだけで、実は中身は見えていなかったのかもしれません



それを中身を見えた気になってあれこれ語っていたのはバカみたいに思えてくる。



深いところを見えているなと思えばそうじゃなかったり



まぁワカランけども



人間の考えなんて型にハマらない。



人の数だけ器の大きさや形や材質も違う。



それを分かってはいたかもしれないけど



自分の型にはめてあれこれ言っていたかもしれない。



自分は人との関わりにおいて中心にいたと思っていたけど



振り返ってみると



中心にとどまらずに過ぎ去っていただけだったなと今にして思う。



人なんてコロコロ変わるし



生涯人と人との関係が続くなんて思えない。



でも俺は



いつ終わりが来るかわからない人と人との関わりに



すがらないと生きていけない。



しかし



常に大切にしてきた、人と人との繋がりを



自分は切ろうとしている



その人は



去るものは追わない主義なので



自分から切ってしまえば多分俺との関係は途絶えるでしょう。



できれば切りたく有りません。



だけども



その人は多分、友達と道具の区別がついていないと思う。



自分はその人との関係とは友人という関係だと思っています。相手がどう思うか別として。



俺は別に道具として扱われても全然構わないんだけども



その人が友達という名前の繋がりで、俺を無意識に道具として接してきているのが



嫌ではないが痒い、



その人は、これをするならこの友達、あれをするならこの友達が適しているだろうと分けているのでしょう。



それは当然のことだと思うんだけどね



それを自分は



この友達にはこれをしているのに
何で俺にはこれをしないんだろう?
と疑問に思うというか嫉妬しているのかもしれない。



こんなやつ面倒くさいですね



多分その友達はこんなめんどい奴は嫌いだったはずです



人には環境に置かれた役というのが存在します。



俺はその置かれた役のポジションとして



その友人と接しているわけですが



ほんの少しだけ違う役として接したかったと思う。



まぁ今さら言っても無理ですが



多分俺がいなくてもその人は大丈夫でしょう



初めて、自分から嫌いになっていない人を切ろうとします。



決断はしませんが切ろうという努力をします。



切るもなにもほとんど友人の方からの接触だったので切るとは違うかも。



距離を置こうとする努力をします。



実際その友人と接するのは楽しいです。



いろいろと感銘させてくれた、今までの友人とは違う型の友人でした。



言葉としてこの文章を載せるのは、すべてが終わってしまう気がしてとても怖い



後悔するかもしれない。



でもここまで書いておいて全て消してしまうのは


それはそれで気持ち悪い。



だけども、形として残す気持ち悪さより



形として残さない気持ち悪さの方が



モヤモヤする



なので載せます!



(’・_・)ゝ