鈴木ヒロミツ氏死去
鈴木ヒロミツ氏が肝細胞がんで亡くなった。
故人には申し訳ないが、ある意味で犬死にだったと思う。
肝細胞がんはそれ自体で発生することがほとんどなく、たとえば胃がんのように、「定期健診で見つかったときには既に手遅れでした」ということがない。
肝細胞がんは、ウイルスやアルコール、薬剤などが原因で肝炎となったものが慢性肝炎へと移行し、その慢性肝炎を放置しておくと肝硬変になって、時としてそれががん化するという、非常に長期的な過程で発生するものだ。
したがって、肝炎の段階で抑え込んでおけば、肝がんには移行せずに済んだのだ。
余病がなければ、平均寿命まで生きることが十分可能だっただろう。
たぶん、肝炎について「知らなかった」のだと思う。
ワイドショーで伝え聞くところによれば、死の前日に病院を訪れてその場で入院し、当日に容態が急変して亡くなったのだそうだ。徹底的に病院が嫌いだったのかもしれない。
もし本人が「病院通いをするぐらいなら死んだほうがマシだ」と常日頃から言っていたとして、こういう亡くなり方は幸せだったと言えるだろうか。
私はそうは思わない。やはり人間は「命あっての物種」で、死んでしまっては「元も子もない」からだ。60歳ならなおさらだ。
森谷敏夫氏の著作 に詳しいが、高度に発達した現代医療は我々に「太く短く生きる」ことを許さない。
昔ならポックリ死んでいた死の床から、人を救い上げてしまう。
そうして助かった人に往々にして残るのが、後遺症である。
私だって医者に定期的に通うのは面倒だし、時間も掛かるし、金も掛かるから嫌だ。
しかし脳卒中を起こして半身不随になったり、痛風発作で苦しんだりするのはもっと嫌だから、定期的に医者に掛かって薬を飲んで、血圧を下げたり尿酸値を下げたりしている。
深刻な病気を回避したいのだから、それもしょうがない。
私は心身の不調を抱えながら受動的に生き長らえるのではなく、元気に能動的に、いいことも嫌なことも味わいつくして生きたいと思っている。
そのためには、やはり健康に長生きしなければならず、だから医者に通うのだ。
ついでだから書くが、病院では医師や看護師の治療上の指示に従わなかったり、指示された薬を飲まなかったり、勝手なことをしている患者が時々いるが、あれは何なのだろう。
医療者の言うことを聞かないことや、自分の命や健康について無頓着なことが、無頼であってカッコいいことだとでも思っているのだろうか?
私は自分の受けている治療について熟知して納得したうえで、医療者の指示を遵守し、かつ健康に執着するという患者像のほうが、よっぽどスマートでカッコいいと思う。
それでなくとも自分でどうにもならなくなって病院に入院しているのだから、医療者の指示に従うのは当然のことだ。
それが嫌なら家に閉じこもって、ひっそりと野垂れ死ぬしかない。