なんか場当たり的というか
なんか最近の世間のうろたえぶりは、場当たり的な迷走といった感じを受ける。
女子児童の殺害はたしかに衝撃的で、防げるものは防がなければならないが、これらの事件には、対策に値する共通項があっただろうか。
奈良、栃木、京都と、事件現場は地理的に極端に離れていて、犯人の職業も年代も異なり、うち1人に至っては外国人だった。
ロリコンの性癖があったのかといえば、京都の大学生はむしろ、小学生を憎んでいたようにも思える。
被害者こそ小学生であったものの、これだけ事件の背景が異なるのに、例えば警備員の配置とか防犯カメラの設置といった画一的な防犯対策で、発生を防ぐことができるのだろうか。
「なぜ児童を狙った犯罪が起きるのか」を先に究明しないことには、あまり実効性はないのではないだろうか。
それがわからないからとりあえずできるところからやっているのだと言われては返す言葉もないが、保護者がさも恐ろしげに子供の送り迎えをしたり、自転車でパトロールと称して走り回ったりしているのを見ると、なんだか滑稽にも見えるのだ。
四六時中誰かに監視されているような社会を、誰が望むだろうか。
厳しく管理された社会は、いずれどこかでそのストレスを暴発するような気がしてならない。
そのとき社会は、膨大なツケというべきコストを払わなければならないだろう。
人手によると機械によるとを問わず、「監視」という行為は、自分たちの首を絞めかねない行為であるということは、自覚しておいたほうがいいように思う。