保護観察(3)
「夜回り先生 」と呼ばれる人がいる。
水谷修という高校教師(今は退職)だ。
釈放されてから立ち寄った書店で、その水谷先生の本がいくつも平積みになっていた。
そのうちの何冊かを立ち読みしたが、自分自身が前科持ちということもあるし、留置場の中で薬物依存症者を間近で見たことなどもあって、具体的にその世界になじむことができた。
保護観察官も、水谷先生の著書を買って読んでいた。
でもあれぐらいの内容なら買わなくても読めるよね、と言っていた(立ち読みで済ませられるということらしい)。
その話の中に、専門官らしいなと思わせる言葉があった。
「水谷先生が夜回りに出ているあいだ、水谷先生への電話は通じない。ということは、本当に保護が必要なのはその電話を掛けてきている子ってことにならないかな。水谷先生につながれない子こそ、本当は誰かの助けが必要なんじゃないかって、個人的にはそう思うんだけど」
うーん、すごいな、と思った。
「不在で出られない電話を掛けてきた人」というものは、普通に考えれば、考えても答えが出ないパラドックスで、私を含めた一般人は、「しょうがないものはしょうがない」で終わらせてしまうのではないかと思う。
私も逮捕される前までは一応、まっとうな社会人として生きてきた。
ここでいうまっとうな社会人とは、小学校・中学校・高校あるいは大学という教育期間を経て、社会に出て、国家の一構成員として財を生産してきた人間を言う。
日本の近代教育は、明治時代に始まる。
西欧列強と対等にわたり合うためには、近代化された軍隊が必要で、そのために開始された義務教育だった。
戦後は、経済界と産業界の要請で、「命令に忠実で」「均質化された」「まじめな」労働力の育成に、教育の主眼が置かれた。そのための学習指導要領であって、偏差値であって、制服であって、校則だった。
そこからはみ出した子供たちを、私はいったい、どのような目で見ていただろう。
私の属する側からは、「落ちこぼれ」「ドロップアウト」「異端児」としてしか、見ていなかったのではないか。
出生という一定の生産数の中の「歩留まり」、要するに「不良品」としてしか、見ていなかったのではないか。
保護観察官は違った。
社会というワクに収まりきれない子の最後の1人までも、水谷先生の懐にすがれなかった子の最後の1人までもを、救おうというのである。
「中には攻撃的で、どうしようもないヤツもいる」と、保護観察官は言う。しかしその「どうしようもないヤツ」をも救おうというのが、保護観察官だ。
日本という国はいいなあ、犯罪者の更正まで面倒みてくれちゃうんだから…と、ひねくれた目の私が思う。
日本社会には、制度としての無償の善意がある…と、純粋な目の私が思う。
まっとうに働く社会人のために、幾重にも張られた社会的なセーフティネットをものの見事に突き破って、一瞬のうちにどん底に叩きつけられた私が得た、ひとつの価値観である。
このブログには、東京大学からの複数の定期的なアクセスがある。
近い将来日本の中枢に進むであろうあなた方に私が知っておいてほしいことは、あなた方が歩んできたエリートコースからは外れた多くの人々もいるという事実だ。
このことはあなた方が政府の一員となったあとも、いつも忘れずにいてほしいと願う。
それが、私がこのろくでもない経験を書き綴れ続けたことの、モチーベーションのひとつでもある。