平成16年6月21日(月) 勾留42日目
5時近くになって、風呂だった。
順番的には終わりに近かったので、陰毛が束になって浮いていて、凄い状態だった。
また終了を告げられなかった。111番か、いいよ、と看守が言っているのが聞こえた。
私は看守に好かれているのだと思う。
それは難しい試験を通った人間や、ある種の訓練を積んだ人間、才能のある人間に対して、当然の敬意を持って接しているからだろうと思う。
ついでにちょっとしたことでも、「ありがとうございました」というのを忘れない。
やはり自分が罪を犯して、世話になっているのだから、当然だと思うからだ。
そんなの当たり前だと思うかもしれないが、それが案外、粗暴犯には難しいのである。
【過去の過ちを振り返って】
看守には好かれておくに越したことはない。
病院と一緒だ。
両方とも好かれていれば、順番が早くなったり、頼みがきいたり、便宜を図ってくれたり、助かることはいろいろとある。