ある日、一人で海岸に出掛けた美奈子は小学生の少年に出会う。
スプーンを使って器用に岩から貝を剥がしていた。
「それ、何ていう貝?」
美奈子の問いかけに少年は「わすれ貝」と答える。
それが美奈子と十歳の勉との出会いだった。
勉は美奈子の恩師の孫だった。
わすれ貝ひろいしもせじ。
紀貫之の「土佐日記」の一文を祖父からの聞きかじりで少年がそらんじたのだ。
美奈子はかつて神戸に住んでいた。
夫と子供と三人で・・・夫の不倫に悩みながら暮らしていた。
阪神大震災で被災した美奈子は、息子の翼を連れて土佐の実家に帰った。
そして翼は事故で世を去ってしまった・・・。
美奈子は神戸を離れ、夫から逃げ、土佐に帰ってしまった自分を責めていた。
「土佐日記」で紀貫之は、子供を亡くした悲しみを抱えて妻と旅する様子を書き綴っている。
美奈子は勉との交流を通し、「土佐日記」を再び紐解いてみようと思う。
深く傷ついた心は癒えるのか、海を越えて再び神戸の地に立てるのか。
「お母さん、ぼくはもうええから」
死んだ子供は何も言いはしない。
「きっとそう言ってくれるよ」と誰かが言ってくれても、それを受け入れることは難しい。
実際には聞こえない声を聞き取るには、そして受け入れるには、どうしたらいいのだろう?
拾って持っていたら、忘れたい人を忘れることができるというわすれ貝。
私はいらないな、そんな貝。
