十九歳の直子には、肝臓を患う姉がいる。
父はいつか受けなければならない姉の手術費用のためにせっせと働き、母の一日は姉のためだけに費やされている。
幼い頃から直子は家族の中にあって、家族の一員ではないような感覚にとらわれている。
家の手伝いは当たり前、姉に何かあったらいけない・・・と、コンパに参加しているときでさえ携帯の電源を切ることができない。
「これから」というときに限って家から呼び出しの電話が掛かってくる。
いつも楽しみは一本の電話でダメになる。
生まれたときから姉という存在の影に隠れるように、良い子で居続けることを当然のように生きてきた直子は、もしかしたらいつか姉に肝臓を提供するために両親は自分を産んだのでは無いかとまで思い詰めてしまう。
一方、両親の手厚い庇護のもと、ごく普通の女の子として楽しいことを一つも知らずに育った姉の幸恵は、母の入院を幸いに、直子や父の目を盗んでやりたいことをやってしまい、結果具合が悪くなってしまう。
幸恵の身勝手な振る舞いに腹を立てる直子だったが、幸恵にも彼女にしかわからない深い苦しみがあったのだ。
私はこの本を読んでいて、ある姉妹を思いました。
その姉妹は病気ではないけれど、姉の方が直子のようであり、妹の方が幸恵のように思えました。
子供が親に愛されたい欲求はみんな同じです。
親もけして我が子のどちらが可愛いとか、大事とか無いのだけど、受け止める子供は不平等を敏感に感じ取ってしまうんですね。
両親はけして直子が思っているように、幸恵可愛さに直子をないがしろにしているワケでも、直子の肝臓で幸恵を助けようなどと考えているワケでも無いのだけど、長年姉の影のような存在だと思い込んで生きてきた直子には、両親の愛情を独り占めしているように見える姉、両親の関心を独り占めしているように見える姉、それなのに命を粗末にしているわがままな姉に腹を立てつつ、放っておくこともできない・・・。
たぶん「私の肝臓を使って」と言って欲しいんだろうな・・・という空気を察しながらも、怖くて言えない直子の心情が痛いほど伝わって来ました。
ドラマなどでは、そういう場面で何のためらいもなく口にする言葉なんでしょうし、それで美談になるのでしょうが。
でも、いざその言葉を口にしたとき・・・
すごく薄い本なんです。
でもすごく厚いものを訴えてくる本です。
