加山可奈子は四十五歳。
同じ公務員の夫と二人の娘を持つ、ワーキングマザーである。
朝起きたときから慌ただしい一日が始まる。
思春期に差し掛かった二人の娘に朝食を摂らせ、自分が出掛けるまでの時間は戦場のようである。
夫だけは自分の時間を一人のんびり生きている。
先に帰ってもお湯一つ沸かすこと無く、全ての仕度を可奈子が整えるまでテレビの前から離れない。
娘たちが保育所に通っていた頃でさえ、お迎えにすら行ってくれなかった。
休日も平日の夜も、夫は自分のために贅沢に時間を消費している。
結婚したことによって可奈子は自分をどれだけ犠牲にして来たのかに、ふと気付いてしまった。
なぜ、こんな人と結婚してしまったのだろうと。
その考えに及んだとき、一つの答えが浮かぶ。
「結婚しなければならなかった」
可奈子は同窓会に出席するため、結婚してから初めての外泊をする。
故郷に帰り、過去の自分を振り返ったとき、自分の人生は母親の思い通りに生きてきた人生だったのだと改めて思うのだ。
学校はここ、大学に行くなら・・・就職するなら・・・結婚するなら・・・子供は一人より二人はいないと・・・全て母の思うとおりの道を迷いも無く歩いて来た結果が「今」なのだ。
「離婚まで」というタイトルですが、離婚までは描かれていません。
私はもう何度も書いているのですが、子供は環境に育てられ、価値観もそれに影響されて育っていくものです。
一番身近にいた母親の持つ価値観を絶対にそのとおりにするべき!それが正しい!間違いない!と教え込まれて育った子供は、別の選択肢があることに気付きもせずに、親の敷いたレールの上を何の疑いも持たずに歩くのでしょう。
間違った価値観を植え付けられたり、本来の自分らしさを隠したまま自分らしく生きられないのは、生きづらく苦しいものです。
そして、なかなかその生きづらさの根っこに気付くことは難しいのです。
万一、気付くことが出来たとしても、過ぎ去った年月は戻らず、また容易に自分の中に根を下ろした価値観を変えることは出来ません。
自分らしく生きることは、まず本来の自分がどんな人間であるかを知らなければなりません。
意外と理想の自分や、誰かの理想を生きる自分を勘違いしたままの人というのは多いと思います。
