長寿の国・日本に生まれ、百歳を越えてもなおお元気なお年寄りも多い世の中ですが、ワタシは人生八十年と思って生きております。
何故かというところは、あえて説明はしません。
人それぞれの考え方による・・・としか言えませんから。
そう考えたとき、ワタシはすでに人生の半分を折り返したところです。
どこぞで書いた言葉ですが、ワタシの人生もそこそこ波瀾万丈、山あり谷あり溝あり崖っぷちあり、更に言うなら落とし穴あり・・・どんだけ

未だ山の頂上を見ること無く、地味に過ぎています。
実を申せば、ワタクシ、この数日まさしく奈落の底に落ちておりました。

正確に言い直せば、今もまだ泥沼の中に横たわったまま、うずくまっている状態です。
これの前に書いた『人生をやり直すことができたなら』という記事、まだ頂いたコメントに返信もしておりませんが、あの記事を書いたことで少し闇の中で針の穴ほどの光明を見出した気がしました。
言葉を吐き出すこと、文字にすることは、鏡で顔を見るように自分の心と向き合うことなんだな・・・と感じました。
そんな日々を送っていた今日・・・自治体の健康診断を受けに行って参りました。
これが先週あたりだったら、ワタシは健康診断など受けなかったと思います。
ワタシは人生八十年も生きようと思っていなかったからです。
落ちるたびに「こんな人生なら早く終わった方が良い」と考えていました。
「生」に対する執着を失っていたのです。
今、心臓発作が起こっても、車にはねられても、いつでもいいぞ、かかってこい!!・・・な気分で生きていました。
そんなワタシが健康診断を受けに出かけて行きました。
一年前のワタシが知ったら、驚いて腰を抜かすんじゃないかと思います。
何か大きな気持ちの変化があったワケでは無いんです。
だから、会場に居ても「なんでワタシはここに来たのかな?」と思ったくらいです。
そんなワタシが、そこに居た理由に気付いたのは健康診断の最後の項目の採血のときでした。
血管が埋もれているワタシの腕を看護師さんがパチパチ叩きました。
「出なかったら、手の甲からでも良いですよ」
ワタシはいつもの決まり文句を言いました。
「だけど、なるべく上の方からじゃないと痛いもんねぇ」
看護師さんは、そう言って何度も腕をさすったり叩いたりしていましたが、一向に血管が出ないので「ごめんね」と言いながら、少し下に場所を移しました。
痛い採血でした。
ホントに痛かった・・・

これまでにもこんなことは度々あったので、特別どうってことでは無いし、それで人生観が変わるほどの心境の変化は無かったんですが、ただワタシは「生きようとしている自分」を見つけました。
ただ、それだけのことです。
何もタメにもならないことなんですが、今日ふと感じた「一瞬」を文章に書き留めておきます。
「山谷いき」
落ちるほど 痛手は深く 心(み)に響く
痛み消えても 傷(あと)は残り
数多の過去(きず)を 背負い行く
荷が重くとも 高みは近く
高き山ほど 空に近付く
天に昇るは 明日で良い
ただ生きよ 悩め迷えよ 愚か者
紫乃
