「東京に門前払いをくらった彼女のために」 「恋するカレン・みちのく純情篇」 「マイ・フェア・ボーイ」 「走れ! 東上線ターボ」 「洗いざらしの幸運」 「4時間17分目のセカンドサーブ」 「君の名はルイージ」 「僕と少女とブルーベリー」 「さらば愛しき牛丼」 「黄昏のイエロー・サブマリン」 「人生で大事なものは(けっこう)ホイチョイに教わった」 「ザイオンの鉄のライオン」
・・・って、タイトル皆なげーよ!!(ノ`´)ノミ┻┻
時代はどれも1960~70年代に青春時代を送った人たちの話。
今の子(十代以下??)に「プレイヤーとデッキ」と言って通じるか、謎です。
余談ですが、日本の昔話に出てくる道具の類を、そのまま読み聞かせて子供は理解しているでしょうか?
「斧」であったり「蓑」「傘」「背負子」「囲炉裏」・・・など昔から使われている道具は、私などは頭に道具の姿カタチが浮かびますが、そういうモノが消えて久しい現代を生きる子供には、なかなか理解できないのでは無いかと思ったりします。
「傘」と言えば、ジャンプ傘やビニール傘、日傘のようなものを想像してしまわないでしょうか?
♪雨あめ ふれふれ 母さんが 蛇の目でお迎え 嬉しいな
・・・蛇の目が傘だとは思わないでしょうね。(^^ゞ
まったく、余談でした。<(_ _)>
「洗いざらしの幸運」の出てくる女の子は、一枚のトレーナーに幸運を託している。
ボートハウス、シップス、シーズ、クルーズなどのブランド・トレーナーが、一枚五千円前後という値段は、庶民には結構な贅沢品の時代だった。
彼女の持つボートハウスの水色のトレーナーは、もう随分くたびれてしまっているが、彼女と恋人との危機を何度も救ってくれた、ラッキー・アイテムなのだ。
「僕」と彼女はコインランドリーで出会った。
最初のとき、彼女は他人の使っている乾燥機を失敬して、水色のトレーナーを乾かしていた。
二度目。今度は「僕」が今から使おうとしている乾燥機に便乗を申し出て来た。
前回見られたことを知らなかった彼女は「あんなことは初めてだったんです」と、恥ずかしそうに水色のトレーナーの事情を話してくれたのだった。
急いで乾かさないとデートに間に合わない・・・どうしてもこのトレーナーを着て行かなくちゃいけない・・・なのに乾燥機が空いていない・・・。
今の若者では考えられないであろう、一枚のヨレヨレのトレーナーを大事なデートに着て行くことや、コインランドリーで見ず知らずの若い男の下着やらと一緒に大切なトレーナーを乾燥機にかけてしまう、彼女の大胆な行動・心理。
恋人との危うい関係を取り持っていると信じている水色のトレーナー。
もしも彼との関係が終わってしまったとき、彼女はそのとき水色のトレーナーを着ていなかったせいにして、そう思うことで吹っ切ることが出来るのでしょうか?
そのときが過ぎれば風景の一部になってしまうような「僕」にとっては人生のほんの一時の些細な出来事ですが、些細でありながら、強烈な色彩を放ち瑞々しさを孕んで「僕」の人生の中の「点」として刻まれる。
全体的に流れる、そういう爽やかな、どこか懐かしさの残るタッチが魅力的な作品でした。
