著者の奥さま・川本恵子さんは平成二十年(2008年)六月十七日午前一時四十四分に五十七歳の若さで亡くなった。食道癌だった。
 
七歳も年下の細君が先に逝くなど考えたことも無かった筆者は、三十五年間、自然に一緒に居るのが当たり前になっていた。
 
細君を亡くして彼女の存在が、どれほど著者の人生にとって大きく、また、かけがえのないものだったかを切々と語っている。
 
 
ファッション評論の仕事をしていた恵子さんのお写真を拝見すると、とても若々しく美しく、生き生きして見える。
 
とても病魔に負けてしまうようには見えない活気がある。
 
夫婦は女性が長生きした方が強く生きるとよく聞く。
 
私の父が七十三歳で亡くなったとき、やはり七つ年下の母の悲しみようは見るのも辛くなるほどだった。
 
生きている間は文句も悪口もいっぱい聞かされていたから、父が死んで初めて「お母さん、そんなにお父さんのこと好きだったん?」と思ったほどだ。
 
母はほぼ一年間、黒い服以外は見に着けず、喪に服し、今も毎月欠かさず月命日に墓参する。
 
もしこれが逆で、父が残り、母が亡くなっていたらどうだっただろう?
 
母はなんだかんだと父の霊を弔いながらも強く生きているが、母が居なければ生きていけないような弱さのあった父は、すっかりしょぼくれて寝付いていたか、寂しさを紛らわすようにパチンコやお酒にのめり込んで行ったのでは無いかと何となく想像できてしまう。
 
話が逸れてしまった・・・もとい、
 
お子さんが居ないことも著者を余計寂しくさせているのかもしれない。
 
三十五年自然に一緒に居るのが当たり前と思っていた彼にとって、恵子さんの死は片腕どころか、半身をもぎ取られたような痛みだっただろう。
 
私の母は強い。
 
それでも父と五十年一緒に生きた末の突然の別れは、あの母を打ちのめした。
 
急であろうが、覚悟の上であろうが、永遠の別れは誰にも必ず訪れる。
 
失ったとき、人は必ず後悔する。
 
著者に、これほど思われる恵子さんは幸せだろう。
 
でも本当は生きて、長く二人で過ごすことの方を望んでいたに違いない。
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