山本八重は、会津藩士で佐久間象山に支持する砲術指南役の山本覚馬の妹だ。
 
会津戦争では自ら砲や西洋式銃を操り、敵軍に対峙した女傑で知られる。
 
のちに八重は、新島襄と結婚。同志社大学の設立に貢献することになるのだが、この物語は青春時代~会津戦争敗戦までの八重の半生を描いている。
 
女に生まれながら力自慢で幼なじみの山川大蔵(おおくら)にもけして負けなかった八重だが、女であるがゆえに女性らしい作法や手内職を習い、せねばならず、一方の大蔵は藩校・日新館に通うようになり、八重は女である身の上を嘆いていた。
 
そこに兄の覚馬が帰藩。
 
覚馬は八重に砲術を学ばせる。
 
八重は水を得た魚のように勉学に励み、誰よりも正確に西洋式銃を操ることができるようになる。
 
しかし未だ、武士と言えば剣術・槍術が主流と考える頭の古い武士には西洋式銃はなかなか受け入れられず、このことがのちの会津戦争に於いて大きな戦力の違いとなって会津藩を悲劇へと導いていく。
 
やがて、藩主・松平容保(かたもり)に京都守護職の任が下る。
 
黒船来航以来、開国だ、攘夷だ、倒幕だと京は不穏な空気に包まれていた。
 
容保の任務は、京の治安を取り締まり、帝を守ること。
 
会津藩では、この任務を受けることに異を唱える重臣もあったが、会津には古くから徳川家への忠誠を誓う家訓があり、容保は徳川家の命令に従い、京都守護職を拝命するのだった。
 
八重は京へ旅立っていく兄や藩の男たちを見るにつけ、己の非力を思う。
 
山川大蔵とは互いに恋心を持ちつつも、きちんと伝え合うことはできず、大蔵が残した「死ぬるまで 夢見るものは故郷の 桜下に咲いた 八重の山吹」の短冊を会津戦争で城に入る直前まで大切に持っていた。
 
大蔵は京へ行く前に嫁をもらった。
 
八重には、なかなか良縁の無いままで、母の気を揉ませたが、覚馬の弟子で山本家に居候し、日新館蘭学所で学ぶ、但馬国出石藩の川崎尚之助から求婚され、結婚した。
 
しかし時代は急変していき、大政奉還・薩長同盟・・・そして戊辰戦争の勃発。
 
江戸城が無血開城すると、討伐軍が次に向かうのは会津だった。
 
またたく間に会津藩は、朝廷に弓を引く朝敵となり、薩摩・長州両藩率いる錦の御旗を掲げた官軍に討伐を受ける賊軍の立場になってしまったのだった。
 
その頃には兄・覚馬、弟・三郎の戦死の悲報がもたらされており(のちに覚馬は視力を失って帰って来るのだが)、他藩出身の夫・尚之助は逃げ腰で頼るに及ばず、八重は戦闘の前線で砲を操り、ゲベール銃を駆使して最後まで勇敢に戦ったのだった。
 
会津藩は降伏した。
 
老人も女も子供も一丸となって戦った結果は無惨だった。
 
多くの犠牲者が出た。
 
しかし鶴ヶ城は最後まで落ちなかった。
 
新選組を最期まで武士らしい武士だったと表現するように、会津藩は最期まで幕府に忠誠を尽くした幕臣らしい幕臣だったのだと思う。
 
黒船の来航、開国、日本は小さな徳川幕府が治める国では無く、すでに諸外国対日本となっている時代になっても、帝を奉り、幕府に忠誠を誓い、公武合体を望む藩主に従った小さな藩、そして人々。
 
山本八重の青春時代の背景で揺れ動く日本の様子が、わかりやすく描かれた作品でした。