八月のこの時期になり、思わず手に取った一冊です。
作者の青来さんは長崎県のご出身。
長崎は八月六日の広島に続き、原子爆弾を投下され多くの犠牲者を出した日本で二番目の核兵器による被害を受けた場所です。
「釘」 「石」 「虫」 「蜜」 「貝」 「鳥」という地味なタイトルの六作品が掲載されていますが、どれも爆心地周辺を舞台にした物語で、自分が親が祖父母が、原爆の被爆者です。
長崎は過去に厳しいキリシタンの弾圧でも多くの罪無き人々が殉教という名のもとで無惨に殺されています。
そういう背景もあるので、どのお話の中のセリフだったか失念してしまいましたが「同じキリスト教同士なのに、なぜ殺し合わなきゃならんのだ?」というのがあり、また他のお話では「あのとき神様は長崎にはいなかった」というのにも胸に迫るものがありました。
広島も長崎も、選ばれて原子爆弾を投下されてしまったけれど、広島にも長崎にもそれぞれの土地に住む人々にも何の罪も無い訳で、選ばれる理由などどこにもありません。
同じ神様に朝晩の祈りを捧げる者同士が殺し合うなど・・・あってはならないことです。
どんな理屈も核兵器を肯定する正当な理由にはなり得ません。
今回はこの中から「貝」というお話を紹介しましょう。
高森は一年前の夏に一人娘の沙耶香を肺炎で失った。四歳だった。
整理しきれない沙耶香の遺品と思い出、喪失感・・・それは彼を精神的に参らせるに充分だった。
妻は諫早の実家に帰ってしまった。
彼はよく夢を見る。いや、夢ではない・・・確かに海の潮が満ちて夜中になると十二階のマンションの部屋までも水が上がり、貝を運んで来るのだ・・・。
土地柄、どんなに潮が満ちても、インド洋で起こったような大津波が起こっても、海水が上がって来るような場所では無いが、確かに潮は満ちているのだと高森は信じていた。
その証拠もあった。
濡れた床であったり、潮の香りであったり、落ちている貝であったり・・・。
ある日、ゴミ出しに行った高森は長井という老人と会う。
長井は以前からゴミ集積場の掃除をしている老人だ。
以前は奥さんらしき夫人も一緒にやっていたが最近は見かけない。
長井は「あの子を最近見かけませんね」と高森に話しかける。
あの子とは沙耶香のことだ。
沙耶香は老人と一緒にゴミ拾いを手伝っていたという。
高森は長井の妻も見かけないと言うと、「あれは妻ではなく妹です。去年の夏に死にました」と言われる。
長井の妹・百千代(ももよ)と沙耶香はとても気が合っていたという。
ゴミがたくさん散らばることを百千代は「海の水がゴミを打ち上げるんだ」と話していたという。
その空想を沙耶香はとても興味深く聞いていたらしい。
生涯独身を通した百千代は被爆者である。
倒壊した家の中で下敷きになった妹や弟が泣き叫ぶ声が聞こえていた。
母親は半狂乱になって助け出そうとしていた。
やがて家に火の手が上がったとき、その場からけして離れようとしない母親を連れて逃げる選択をしたのはまだ少女だった百千代だった。
彼女にとって、そのときのその光景、弟妹の泣き叫ぶ声、母の泣き声は一生背負うだけの傷になり、その場に弟妹を置き去りにして死なせたことの悔恨は一生背負う罪の意識になったのだった。
夜通し燃え続ける浦上の火を見ながら「海が押し寄せてくればいいのに」と思ったという。
不思議な縁だが、百千代も沙耶香も八月十日の夜に亡くなっていた。
その前日、八月九日は六十回目の祥月命日だった。
亡くなる日の朝の百千代と沙耶香は、とても楽しそうに「貝拾い」をしていたという。
長井には何も見えなかったが、何も無いものを愛おしそうに拾っては「綺麗だ」と喜んでいたというのだ。
それが二人の最後に迎えた朝だったのだ。
長井になら、ポケットいっぱいに拾った貝を見せても信じてくれるかもしれない。ここまで潮が上がって貝を運んでくることを・・・。
しかしポケットから出した手のひらに高森が握っていたものは・・・。
私は広島と長崎の平和祈念公園や資料館に行く機会に恵まれました。
目を覆いたくなるような写真や、焼けこげ、溶けかけたような生々しい遺品の数々が今もあの夏の悲劇を物語り続けています。
資料館に収まった品々は被害の規模を思えば少なすぎます。
消えてしまったものの方が圧倒的に多く、語ることのできる人々も年々減っていき、過去の惨劇は時とともに現代の我々がずっと昔の戦国時代を語るように、昔々の、自分たちには関係の無い話に風化していく運命にあることが悲しくもあり残念でなりません。
せめて一年に一度でも、その日その時の人々のことを思い、祈りを捧げ続けることをやめないようにしたいものです。
これは小説だけれど、たくさんある実話のカケラを集めた作品たちなのかもしれません。