9.11のテロが起こり、かつて暮らしたマンハッタンの街で、崩壊する世界貿易センタービルの姿をテレビで見た作者。
 
そのときから世界が裏返って、なぜかリアルなものが噴きだしてきたというように、皆が高ぶっていた。
 
この先も続きそうなテロ、火の雨、血の海の予感に怯えながら「何か信じるに足るものがありますか?」と悲しみのこもった目で問いかけてくる。
 
彼はおろおろしながらも、マハトマ・ガンジーのことを語った。
 
「身長165センチ、体重50キロ足らずの小男の彼は、今のアメリカのような大英帝国を向こうに回して、非暴力と断食で闘い抜いて見事に勝ちとり、独立を成し遂げたのだ」と。
 
しかし作者には、もう一人消し去ることのできないX師の記憶が残っていた。
 
ベトナム戦争のころ、ニューヨークのスラム街で暮らしていた作者は、新聞で衝撃の写真に遭遇する。
 
ベトナム僧がひとり路上に蓮華座を組み、両手を膝の上に重ねて泰然と坐ったまま燃えていたのだ。
 
ガソリンを被り、火をつけたらしく、辺り一面火の海だ。
 
モノクロ写真なのに紅蓮の炎の色がはっきり見えた。
 
それは作者自身、過去に事故で火だるまになった経験があったからだ。
 
彼は火だるまになった瞬間に我を失い、狂犬のように走り出していた。そして九死に一生を得た彼は、身をもってその苦しみを知っているからこそ、X師の足跡を追ってみたいと思うようになった。
 
名も知らぬ、その僧のことを彼はX師と呼んだ。
 
当時は1963年、作者はまだ18歳だった。
 
それから39年後、作者は妻とX師の足跡を訪ねて、サイゴンへ飛んだ。
 
手がかりはすぐには見つからなかったが、少しずつX師に近付くことができた。
 
X師のいたティエン・ムー寺ではX師に続いて、次々に僧たちが焼身自殺したという。
 
自分の身を焼いての政府への抗議だった。
 
調べていくうちに、X師がティッ・クァン・ドゥックという名だとわかる。
 
覚悟の焼身供養(焼身自殺とは言わないらしい)とはいえ、クァン・ドゥック師の強靭なまでの精神力に、本を読んでいる私は身震いがした。
 
人が死ぬ方法として、焼死というのは一番苦しく耐え難い痛みを死の間際まで感じ続けなければならない、悲惨な死に方ではないかと思う。
 
ガソリンを被った身体は一瞬にして燃え上がったことだろう。
 
炎に身体を焼かれながらも微動だにせず、さらにはこう言い残していたという。
 
「私の身体が前に倒れたら凶、後ろに倒れたら吉だ」と。
 
そして彼は後ろに倒れた。そこまで意志が働いていたというのだろうか。
 
焼身自殺というのは、宗教的であったり政治的であったり、個人的でも何かを強く訴えたいという思いの表れとして用いられる傾向にあるそうだ。
 
しかし多くは身を焼きながら、もだえ苦しみ、もしかしたら後悔しながら死んでいくのかもしれない。
 
クァン・ドゥック師が身を捧げて叫んだ言葉は、果たして何か大きなものを揺さぶり、良い方向へと道を開いたのだろうか。
 
彼の尊い死が無駄でなかったことを祈るばかりである。