「いちばん新しい思い出」 「夜の鯉のぼり」 「皿を洗う父」 「手のひらが覚えてる」 「黒たまご」
「玄関の犬」 「渡り廊下の向こう」 「桜散らず」の八編の短編集。
この作家さんはSMAPの「青いイナズマ」「SHAKE」「ダイナマイト」、Kinki Kidsの「愛されるより愛したい」、田原俊彦さんの「抱きしめてTONIGHT」などのヒット曲を多数作詞された方です。
困ったことにどの作品もじんわりと感動する良作で、どれにしようかな~状態です。
歌詞と違って文章になると、こういう文を書く方なんだなぁと感心してみたり。
どこにもダイナマイトなハニーもシェイクシェイクブギーな胸騒ぎも見あたりませんでしたから。(笑)
中でも作者さんがあとがきで「僕の原点」と仰っている、「夜の鯉のぼり」をご紹介しましょう。
息子・祐一が小学校へ上がってすぐの頃から妻・美沙子との関係がおかしくなり、美沙子が祐一の親権を取り離婚した。
そもそもの発端は、美沙子が働きたいと言い出したことだった。
主人公・秀之は貧しい母子家庭で育った。
母は未婚で秀之を産んだ。そのせいで、兄嫁の伯母から冷たい態度と暴言を吐かれながらも小さくなってひっそりと暮らすしかなかった。
朝から晩まで働きづめの母。それを待ちわびた幼かった自分を思うにつけ、妻が働くことにどうしても賛成できなかったのだ。
しかし美沙子は不慮の事故で亡くしてしまった第二子(まだ妊娠にも気付いていなかった)のことを責められているようで、彼女自身も煮詰まっていたのだった。
秀之が子供の頃、学校で作った鯉のぼりを持ち帰ったら、変だと言ってイトコ達が破ってしまった。
伯母は謝るどころか「鯉のぼりは立派な男の子が居る家が上げるもの。お前みたいな子のために上げる鯉のぼりは無い」と言い切った。
母は「お前は立派な男の子だよ」と言いながら、破れた鯉のぼりをセロハンテープで貼ってくれた。
そんな秀之のために祖父がたった一度だけ鯉のぼりを上げてくれた。
伯母やイトコたちの留守を狙って、たった一晩のことだった。
美沙子に頼んで一週間だけ祐一と二人きりの時を作らせてもらった。
苦労して秀之を育ててくれた母にとっても祐一はたった一人の孫。
母も呼んで一緒の時間を過ごすことに。
マンションを買うなどと意地を張らず、妻の実家に二世帯住宅を建てておけば、あるいは、流産した第二子が無事に生まれていれば、こうはならなかったのか。
祐一が生まれたときに買った大きな鯉のぼりは「この家には立派な男の子がいます」と世間に報せるためのものだった。
あの大きな鯉のぼりは美沙子の実家で空を泳いでいるのか。
蝉の鳴き声が聞こえる夏の夜、秀之は新聞紙で祐一のために鯉のぼりを作るのだった。
夫には夫の、妻には妻の、理想とする家庭像があり、理想とする子育て、理想の自分というものがある。
理想にはまだ自分が手にしたことの無い幸せがある。
秀之の理想は、美沙子の理想よりもちっぽけで大したことのない理想だったかもしれない。
けれど、まだ自分が手にしたことの無い幸せは永遠に理想であり続けるのだ。