イメージ 1
 
今日は、私が妹のように可愛がっていた、一回り年下の女の子の誕生日です。
 
彼女は・・・三年前に自ら命を絶ちました。
 
メールや電話で、何度となく彼女のSOSを聞いていたはずなのに、私は彼女の死を十日以上も経ってから報され愕然としました。
 
自宅の自室で・・・発見したのはお母さんでした。
 
お母さんも取り乱していて、私に報せるどころでは無かったと察することが出来ましたし、葬儀もごくごく身内だけの密葬で済ませたと聞きましたので、私は後からお参りに伺いました。
 
小さな箱を見ても、笑顔の遺影を見ても、夢を見ているようで・・・悪い夢を見続けているような気分でした。
 
控えめで物静かで、おっとりしていて、臆病で寂しがりで・・・到底私のような人間とは接点の無いような子でした。
 
容姿も初めて会ったときに、女優の遠山景織子さんに似てると思ったくらいの美人さんで、華奢で、色が白くて、お人形さんみたいだという印象でした。
 
はにかみ屋で笑顔がヘタな子でした。
 
とても可愛い顔で笑うのに。
 
その笑顔が見たくて、私はおバカな冗談をいつも言っていました。
 
声をかけてくれたのは彼女の方でした。
 
全然キャラが違うのに、こんな私を慕ってくれました。
 
家は遠いんですけど、わざわざ会いに来てくれました。
 
ど田舎のため、コレという観光場所も無いのに一日喜んで付き合ってくれました。
 
こんなおばちゃんに恋の相談もしてくれました。
 
結婚への憧れも話してくれていました。
 
ウェディング・ドレスを着るのが夢だと言っていました。
 
結婚式には絶対来てねとも言ってくれました。
 
安室ちゃんのコンサートに誘ってくれました。
 
「風香さんと一緒に行きたい」と。
 
ギリギリまで待ってくれました。
 
私は・・・行くことができませんでした。
 
息子の行事があって、どうしても遠出できない状況だったのですが、今となっては悔やんでいることの一つです。
 
行けば良かった・・・。
 
あのとき、何が何でも行っておけば、別の歯車が回って、彼女が死なない運命に変わっていたのではないか・・・などと、詮無いことを何度も考えました。
 
出先で取った電話で、彼女が苦しみを訴えて来たとき・・・私は彼女に何を言ったのか、憶えていない自分に腹が立ちました。
 
自分を優先させたために彼女をさらに傷つけたのでは無いかと悔やみました。
 
私一人がどう動き、何を言ったところで、彼女の運命・・・彼女自身が選んだ人生の幕引きを止められる力があったとは思いません。
 
けれど、少しだけ・・・一分でも一秒でも『そのとき』を先延ばしにすることができていたら、家の人にもっと早く見つけてもらえてたのではないか、助かっていたのではないか、もう一度生きてみようと思ったのではないか・・・と、考えずにはいられませんでした。
 
いろんな偶然が良い方に起こっていたらと、悔やまずにはいられませんでした。
 
その思いは、お母さんも同じだったようです。
 
なぜ、あのとき・・・と何度も何度も考えるそうです。
 
彼女は5月に生まれて、5月に天国にいきました。
 
私は毎年5月21日にお花を贈ります。
 
生まれてきた日のお祝いに、彼女に似合う可愛いアレンジメントを注文して届けてもらっています。(ちっぽけなもんです)
 
近くなら持って行くのだけど・・・。
 
ときどきメールをくれる、彼女のお母さんも、この日には電話をくれます。
 
今日も電話が掛かってきました。
 
ケーキを買って来て、彼女の好きなコーヒーを淹れて、にゃんことワンコと一緒にお祝いするよと言ってました。
 
私がお参りに行くと、いつもお母さんは言ってくれます。
 
「あの子は、いっぱい苦しんだけど、今は空の上で虹の橋に座って私たちのことを見てると思う。
今は苦しくないよって、笑ってると思うよ」って。
 
最初にその話を聞いた帰り道、雨上がりの空に虹が架かっているのを見ました。
 
それも二重の橋!
 
初めて見ました。
 
ああ、そうか・・・そこは、こっちの世界より居心地が良いんだね・・・と、そのときふと思いました。
 
自死を肯定する訳ではありません。
 
どんなに苦しくても、生きる道を選んで欲しかった、生きていて欲しかったという思いは変わりません。
 
もう・・・手遅れですが。
 
せめて誕生日は一緒にお祝いしようと思います。
 
命日は・・・やっぱり辛いので。
 
雨上がりの空に虹を見つけると、彼女が会いに来たのだと私は今も信じています。