私は昨年、中学以来の友人から絶縁メールを貰ってしまいました。
そのメールを貰う数日前に何年かぶりで彼女から誘いがあり、一緒に食事をして長らく話をしました。
ずっと近くにいたので、会おうと思えば会える距離にいたのですが、私はいつの頃からか彼女を敬遠するようになっていました。
敬遠・・・そうです、不快な思いをしたくないから、自分から避けていたのです。
会わなくなったら友達でも無くなる訳では無いと思ってましたし、心にわだかまりのある状態で笑顔を作ってまで会う必要性を感じなかったのです。
しかし、その彼女からの何年かぶりの誘い・・・断る理由も無いので会いました。
正直、気が進みませんでした。
けれど何時間もいろいろ話をしてみて、こうやって腹を割って話して長年の誤解やお互いに避けていた経緯を話してみて、また彼女とは「ここから始まるのかな?」と思った矢先でした。
メールのタイトルは「私の決断」。
結局・・・彼女が私を誘ったのは最後のテストのためだったのです。
「会ってみて、昔のようには付き合えないことがわかった」と。
「あなたは昔のあなたじゃなくなった。あのときは言わなかったけど、自分の愚かさに気付きなさい。あなたに神のご加護がありますように。さようなら」
・・・・半年経ちましたが、私はまだこのショックから立ち直れていません。
返信することも無く、そのまま終わってしまいましたが、今も悲しくて仕方ありません。
家族ぐるみの付き合いがあり、中学生のころから何でも語りあっていて、お互いに苦しいときも楽しいときも辛いときも助け合って来たつもりだったし、人生最後まで付き合うつもりでいました。
人間同士ですし、付き合いも長くなれば、それぞれの人生にいろいろ起こって人間が変わっていくのは誰しも同じでは無いでしょうか?
私も変わっていく彼女に一喜一憂しながら生きて来ました。
「今会ってもケンカになる」とか「今は会わない方がいいな」と思う時期はお互いにあったようです。
そういうときは私も距離を置いてましたし、彼女もそうだったそうです。
それでも、どこかで繋がっていくものだと思っていたのが甘かったのでしょうか?
私も変わったかもしれない。
彼女も変わってしまった・・・。
距離を置いてそのまま自然消滅するような関係なら、それも仕方ないといつからか思うようになっていました。
まさか最後にわざわざ、こんなメールを受け取ることになるなんて思いませんでした。
悲しいけれど涙も出ません。
ワーッと大声を上げて泣いたら、苦しくなくなるのなら泣きますけど。
「勝ち組」という言葉を聞くたびに、私は彼女を思い出します。
彼女は私のことを「勝ち組」と言いました。
私は人の人生に勝敗など無いと思っています。
良いときも悪いときもありますけど、人生の天秤というのは最終的には釣り合っていると私は信じています。
良いときが早く来るか、悪いときが先に来るか、そんなことはわかりません。
最終的に「いい人生だったな」と思えたら、それでいいんじゃないでしょうか?
彼女の場合、私が先に結婚したこと、出産したこと、その他もろもろ・・・なことを指して「勝ち組」と言ったようです。
彼女は現在も独身です。
彼女にも私から見ると羨ましい時期は何度もありましたし、結局終わってしまったとはいえ、素敵な恋愛もしていました。
結婚して主婦をやっている私が本当に勝ち組なのかと言うと、自分では勝ってるとは全然思いません。
特に自慢できるようなものも、家も財産も才能も、他人様より秀でた容姿も何も無く、こう言っちゃなんですが並み以下ですよ。
それでも「負け組」だとも思ってませんが。
セレブな人が勝ち組ですか?
ミス・インターナショナルは勝ち組ですか?
事業に成功すれば勝ち組ですか?
さだまさしさんじゃないですが、海は死にますか? 山は死にますか? みたいな話ですよ。
私も良いときもあり、大変な思いをしたころもあり、地味に過ごした時期もあり、病気に喘いだ時期もあっての今日です。
まだ結果は出ていません。
だってまだ生きてますもん。
子育てだってまだ終わってませんし、息子がこの先グレない保証はありませんし、夫とずっと円満にやってるかどうかなんで10年後の保証はできません。
勝ってもないけど負けてもいません。
それは彼女も同じだと思うんですけど。
彼女は生きる希望に宗教の道を選び、心を救われたそうです。
人生が変わり、今はとても気持ちが穏やかになったのだと最後に会ったときに話していました。
私は久しぶりにトゲの無い彼女の言葉が嬉しくて「ああ、苦労したけど報われたな、これからきっと幸せになれるよ、うんうん」と思い、こじれていた彼女との関係も「これから」また新しい友情を築いていけるのだと思っていました。
でも違いました。
彼女は神様に救われて、私を試すような高いところまで行っちゃったようです。
そして、神様に救われない私を愚かと思い、同情し、切り捨てました。
彼女は「勝ち組」になったのでしょうか?
私には「勝ち組」の意味がわかりません。
たぶん一生わからないと思います。
だから誰に指しても「あなた勝ち組ね」なんて絶対に言わないし「私は勝ち組よ」とも思わないでしょう。
負け組も存在しませんけど。
訳のわからない言葉はむやみに使いません。
彼女とはもう付き合いは無いですし、これからも接点は無いままでしょう。
何も困らないけど・・・私はずっとこの心の傷を持って生きていかなくちゃいけなくなりました。
わざわざ、メールなんかくれなくて良かったのに。
私は神様に救われていないかもしれないけど、今日も平和に生きているので神様に感謝しています。
何宗でも無いけど日々、空に、大地に、草に、花に、住む場所に、友達に、家族に感謝して生きていきます。
今、幸福でも不幸でも最後には釣り合っている人生を。
ここに書けたことで、私は自分なりに心の整理をしました。
今からは、もうこのことに拘ることなく前を向いていこうと思います。