ある雨の朝、交差点で傘を差し掛けてしまった男とそのままラブホテルへ。
行きずりの一時のはずが、男は比佐子の会社に派遣社員として、その朝初出勤して来た。
・・・・朝っぱらからそんなことやってる時間があるなんて。(爆)
・・・・そしてそんな小説みたいな偶然があるなんて。←小説じゃ(爆)
比佐子には恋人がいるけれど、彼は家庭のある男。
ドラマチックな出会いをした秋生と付き合うことになり、恋人に別れを告げるがとんでもない置き土産の爆弾を落とされる。
比佐子は性病を移されていたのだ。
秋生にも感染させているかもしれないと正直に打ち明ける比佐子に、秋生は幻滅するでもなく優しく接してくれた。
そんな秋生の胸で比佐子は涙するのだった。
休日や明るい昼間に堂々と表で手を繋いで歩けるデートが四十間近になってできるなんて。
秋生って良い男やんね~~、比佐子幸せになるのかな~と思ったのも束の間、空気がどどど~~っと重くなる。
秋生は実はバツイチ。
二十歳で結婚したけれど結婚生活は一年にも満たなかった。
秋生は母親に捨てられた過去がある。
母親は別の家庭を築いている。しかし両親は未だ離婚はしていなかった。
今になって子供の私立中学受験に差し障りがあるからと離婚を申し出て来たという。
秋生は心に大きな傷を持っている。
深い悲しみを背負っている。
比佐子は秋生が甘えられる存在でありたい、秋生を支えてあげたいと思うのだが、秋生を愛すれば愛するほどに秋生は比佐子と距離を置くようになり、やがて比佐子の思いを重く感じるようになってしまう。
比佐子も形ばかりは整った家庭に育ったが、その中身はけして幸福に満ち足りていたわけではなかった。
だから秋生の苦しみも理解できると思っていた。
しかし秋生は同僚のめぐみとも親しくなり、比佐子よりも先に悩みを打ち明けたり、食事に誘ったり、飲みに行ったり、もっと深い関係になってしまう。
比佐子は秋生と別れ、秋生とめぐみは会社を相次いで辞めていく。
再会したとき、秋生はめぐみとも別れており、やはり独りぼっちだった。
絵を描くためにスペインへ旅立つという秋生。
比佐子は秋生から貰ったビニール傘をさして、表を歩き出した・・・。
最近つくづく思うことは、人というのは環境に育てられるのだということ。
健康な身体を持って生まれて来ても、不健全な環境で育った子供は不健全な心を育むしかないように思う。
生まれて来て、初めて見たものを親だと思い込む鳥のように、無垢な心で生まれた子供の心に色を付けていくのが周りにいる親を含むオトナなのだと思う。
そのオトナを作ったのもまた別のオトナで、そういう連鎖の中で人間は生きていくのだ。
秋生という男が鬱陶しいほどの生きづらさを抱えていて、幸せなはずの恋愛の最初から暗い影を落としていて「一体私にどうして欲しいの!?」って叫びたくなるような言動を繰り返す裏にも、彼の生まれて育った環境が大きく影響していて、それに振り回され続ける比佐子もまた、その年齢まで結婚に踏み切れなかったことの裏には上辺ばかりで中身の無かった家族関係が大きく影響している。
人のせいにする人生はおかしいかもしれないけど、育つ環境は選べない。
人格形成をしていく上で、自分を大切にしてくれる人、愛してくれる人、認めてくれる人、褒めてくれる人、心底心配してくれる人、自分のために怒ってくれる人というのは必要なのだ。
人生において主役はつねに「自分」である。
誰かの脇役でもあるが、自分の人生においての主役は自分でしかない。
自分など必要ない、生きている価値がないと思いながら生きることがどれだけ虚しく悲しいことか。
全ての苦しみが、やがて来る幸福に繋がっていけばいいのにと願ってしまわずにおれない。