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はい、今日もムラに行けないヅカファンの古い舞台のお話です。(爆)


今日は1994年~1995年に宝塚歌劇団星組で公演した「若き日の唄は忘れじ」について語ろうと思います。

原作は藤沢周平さんの「蝉しぐれ」。

テレビではNHKで内野聖陽さんと水野真紀さんで、映画では市川染五郎さんと木村佳乃さんで映像化されましたので「ああ、あれか!」と思い出せる方も多いのではないでしょうか?

物語は羽前海坂藩(架空)の禄をはむ牧助左右衛門の養子・文四郎が、政変の責めを負わされ尊敬する義父が切腹させられたことから、家禄を減らされ苦労しながらも好きな剣術の腕を磨き、慎ましくも穏やかに成長していく。やがて藩主の世継ぎ問題から、父を追い込んだ事件の真相を暴き、父の仇を討つという流れの中に、幼なじみのおふくとの恋や男同士の厚い友情などを絡めて描いていくもの。

主人公の牧文四郎役は、当時のトップスター紫苑ゆうさん。

おふく役は白城あやかさん。(現・中山秀征夫人)

親友の小和田逸平役に麻路さきさん

同じく親友で学問に秀でた島崎与之助役に稔幸さん。

義父の牧助左右衛門役に夏美ようさん。


この作品は原作の完成度が高いので、映画にしろドラマにしろ、そこここに見どころがちりばめられた秀作です。

今回は宝塚の「若き日の唄は忘れじ」について掘り下げてみようと思います。

宝塚の舞台では、この作品とショー「ジャンプ・オリエント!」の二本立てでしたから、よくぞこの作品を一時間半ほどにまとめたな、とまず感心します。

義父母のもとで誠実に明るく育った文四郎は剣術に秀で、将来有望な人材と師匠にも認められている。

その頃、家には隣家の小柳家の一家が居候している。

火事に遭って焼け出されたのを助左右衛門の厚意で置いているのだ。

小柳の長女ふくは文四郎に淡い恋心を抱いている。

夏祭りにふくの妹・おみつと三人で出かけた折り、二人はお互いの思いを実に奥ゆかしく伝え合う。

「恋の笹舟」という歌を歌うシーンがあります。

幻想のシーンで、実際に二人で舟に乗った訳ではないのだと思います。

大きな笹舟にちょこんと乗ったふく。

櫓をこぎながら歌う文四郎。

このシーンの美しいこと!

文四郎とふくの束の間の幸せな時間が、ここに凝縮されていました。

その後、謀反の咎で助左右衛門が切腹させられてしまいます。

これは有名なシーンですが、昼日中、助左右衛門の遺体を乗せた大八車を引いて家路につく文四郎に世間の目は冷たく、石を投げる者はあっても手伝う者はありません。

しかしふくは「おじさまにはお世話になりました」と、人目もはばからずに大八車を押すのでした。

ふくの家族は牧家に世話になったことなど忘れたように、助左右衛門が捕らえられてからというもの態度が一変、ふくにも牧家に近付かないよう言ってたはずなんですけど、それでも自分の思うように振る舞うことのできる、ふくはそんな強さを持っている女性だったんですね。

牧家はなぜか家禄没収まではされず、貧しいながらも藩の恩恵を受ける生活を続けています。

これは後にわかるのですが、家老の悪い思惑があってのことでした。

その頃、ふくには藩の江戸藩邸での奉公の話が持ち上がっています。

当時は親の言いつけには絶対服従という世の中。

ふくにはイヤという権利はありません。

ふくは江戸に発つ前に一目文四郎に会いたいと思い、牧家を訪れます。

せっかく勇気を振り絞ったのに文四郎は留守。

母の登世に簡単な挨拶だけを済ませると立ち去ります。

ちょうど牧家にやって来た小和田逸平だけが「あの子は文四郎に会いに来たのに」と気付くのです。

江戸藩邸に行ったふくは藩主の目に留まり、側室「おふくの方」に出世します。

このとき、舞台ではおふくと文四郎によって「望郷の琵琶唄」が歌われます。

タイトルの「若き日の唄は忘れじ」とは、この「望郷の琵琶唄」の歌詞の

♪丘の上 ともにうたいし あのころの 唄は忘れじ

から取ったものだったのでしょうね。

非常に胸を打つシーンであり、心にしみる歌でした。

ふくは藩主の子どもも授かりますが、正室おふねの方の嫉妬に遭い、家老・里村の陰謀で子どもを殺されてしまうという不幸に見舞われます。

やがて二人目の子どもを出産するふくですが、藩主の寵愛を一身に受ける側室ふくの子どもと嫉妬に狂う正室。

海坂藩に世継ぎ問題が勃発します。

家老・里村はこんなときの為にと情けを存分に恩を売りつけていた文四郎に白羽の矢を立て、ふくと幼なじみであることを利用して近付かせ、子どもの命を取れと命じるのです。

文四郎は里村の陰謀に気付いたと同時に、義父に謀反の罪を被せて切腹に追い込んだ張本人が里村であったことも暴き、ふくと子どもを連れて逃亡。

全ての悪事が露見し、里村は失脚。

義父の名誉を取り戻し、文四郎にも相応の職が与えられ、万事めでたし・・・となるのですが。


藩主の逝去に伴い、ふくも落飾し仏門に帰依することになります。

その前にどうしてもどうしても遂げなければ終われない思いをふくは抱えていました。

ふくは文四郎に文を送り、二人きりで会う時間を持つのです。

昔語りをします。

幼かったころの話、亡くなってしまった妹の話。

江戸藩邸に行く前に文四郎を訪ねて「お嫁さんにしてください」と言おうとしていたこと。

でも言えなかったこと。

文四郎に子どもがいるのかと尋ねるふく。

「女の子が一人・・・やっと、ハイハイを始めました」

文四郎の言葉を聞いて、ふくの思いが弾けます。

「文四郎さまの子がわたくしの子で、わたくしの子が文四郎さまの子であるような道は無かったのでしょうか?」

文四郎も精一杯の言葉を返します。

「そうなれなかったことを一生の悔いと思っています」


「この指、覚えていますか?」

ふくは昔、牧家に居候していたころ、川で洗濯をしていてヤマカガシという蛇に噛まれたことがありました。

「ヤマカガシに噛まれた指です」

文四郎も鮮明に覚えています。

「文四郎さまが血を吸って毒を取ってくださいました」

忘れられない思い出です。

二人は初めて・・・そして最後にしっかりと抱き合います。

「ありがとう・・・文四郎さま。これでもう思い残すことはありません」

「思い残すことばかりですっ!!」

ふくの言葉をかき消すような文四郎の言葉に思わず私の涙腺が全開になります。

「しかし・・・あなたへの思いに青春の時を過ごすことのできた文四郎は幸せ者です」

その言葉を聞いて、ふくはにっこりと微笑みます。

「はい、ふくもです」

ふくはこのとき、ようやく思い残すことが無くなったのではないでしょうか?


今のように「好きだ!」と言えば抱きしめ、「アイシテル!」と叫べばベッドインしちゃうような恋愛が許されなかった時代に、一緒に生きる道は無かったけれど、共有した思いだけで満足できてしまう・・・そんな素敵な恋愛ができた二人は不幸では無かったと思うんですよね。

やりきれない、悲しい思いはいっぱいありますけど。

周囲にどう思われようと、助左右衛門の大八車を押したふく、江戸に発つ前に文四郎を訪ねたふく、文四郎に連れられて逃げるとき思わず「このままどこかへ連れて行ってください!」と懇願してしまったふく、そして最後に今生の別れに文四郎との逢瀬の場を作ったふく。

あの時代の女性にしては、とても大胆で情熱的な女性だと思います。

ふくという女性を白城あやかさんはとっても魅力的に美しく凛と演じていたと思います。

申し訳ないですが、水野真紀さん、木村佳乃さん以上のおふくだったと思います。

現在は芸能活動をされてませんが、在団中に「水戸黄門外伝 かげろう忍法帖」にゲスト出演されたことがあるんですよね。

こういっちゃ何ですが、丸顔のせいか時代劇のかつらがとってもよく似合うんですよ。

宝塚版も最高でしたけど、白城あやかさんでドラマなり映画なりのおふくを見たかった気がします。

紫苑ゆうさんは、当時もうベテランのトップスターさんでしたので、少年時代の文四郎にはちょっと無理があった感じが否めませんが、そこは芸達者な方ですから非常に溌剌と演じておられて好感が持てました。

小和田逸平役の麻路さきさんも島崎与之助役の稔幸さんもすごくハマっていました。

大劇場での洲悠花さんの文四郎の姉・留伊も可愛かったですが、東京での万里柚美さんはぐっと大人っぽくて、これもまた良かったと思います。

東京公演はロンドン公演に参加したメンバーが抜け、洲さんは退団した後・・・ということもあり、役替わりがたくさんあったようですが、星組大健闘の良作でした。

長々と失礼いたしました。<(_ _)>


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