脚本家・高遠ナツメ35歳。
埼玉在住で夫・省吾とのんびりと田舎の二人暮らし。
省吾は奈津(ナツメの本名)の為に仕事を辞め、日常生活の煩わしい雑事を引き受け、畑仕事にも精を出す。
彼女の仕事の邪魔になるものは一切排除して執筆活動に専念できるよう全面協力している。
妻の仕事に理解を示す優しい夫、一見何の不満も無い生活。いや、不満など逆に贅沢なほど恵まれた生活・・・人はそう思うだろう。
あまりストーリーを書くとまずいと思うのですが、女性の作家さんなのに・・・と言うべきか、女性ならではと言うべきか、この作品は性的描写が多くて「そこまで書く?」くらいの表現があります。
主人公・奈津は人より少し・・・いやかなり性的欲求が強く、身体のスイッチが入ると自分ではどうすることもできない・・・らしく、出張ホストから坊さんまで一冊の中で一体何人と関係を持つのだ!?というくらい幅広いです。(笑)
でも奈津という女性がどうして病的なまでにそうなってしまったのか?
彼女の育った環境に怖い母親の姿、飛んできた罵声に傷ついた心があったこと。
文中には言葉として出てきませんが奈津は「アダルトチルドレン(AC)」だと思うのです。
「アダルトチルドレン」とは「幼少期に親の過干渉・虐待などを受けたことにより、成長してから精神的な諸障害に陥っている人々」(→広辞苑)のことで、虐待とはアザができるほどの折檻のような暴力的なもの、性的なもの、言葉や態度による精神的にダメージを与えるものも含まれ、奈津の場合はそれがセックス依存という形で表に出ているのではないかと思えたのです。
アルコール依存、ギャンブル依存、買い物依存、薬物依存、・・・依存の形は様々です。
そして途中からそこに、これも文中には言葉として出てきませんが、夫・省吾の「モラル・ハラスメント」が加わっていることに気付きます。
「モラル・ハラスメント」を簡単に説明することは私にはできません。
「暴力を伴わない精神的虐待」というのが適切な言葉かどうかもわかりませんが、奈津の性格ならば省吾に自分の意見を言えるはずなのに、それができない。
自分の中の息苦しさの正体に奈津自身も気付かず、周囲も全く気付かない。
もしも彼を悪く言う人がいたら「でも、あれで本当は優しい人なのよ」などと庇ってしまう。
でもじわじわと苦しさは募っていく・・・そんな感じでしょうか?
村山由佳さんがその辺を意識的に書かれたのかどうかはわかりませんが、単なる官能小説とは私は思えませんでした。
埼玉在住で夫・省吾とのんびりと田舎の二人暮らし。
省吾は奈津(ナツメの本名)の為に仕事を辞め、日常生活の煩わしい雑事を引き受け、畑仕事にも精を出す。
彼女の仕事の邪魔になるものは一切排除して執筆活動に専念できるよう全面協力している。
妻の仕事に理解を示す優しい夫、一見何の不満も無い生活。いや、不満など逆に贅沢なほど恵まれた生活・・・人はそう思うだろう。
あまりストーリーを書くとまずいと思うのですが、女性の作家さんなのに・・・と言うべきか、女性ならではと言うべきか、この作品は性的描写が多くて「そこまで書く?」くらいの表現があります。
主人公・奈津は人より少し・・・いやかなり性的欲求が強く、身体のスイッチが入ると自分ではどうすることもできない・・・らしく、出張ホストから坊さんまで一冊の中で一体何人と関係を持つのだ!?というくらい幅広いです。(笑)
でも奈津という女性がどうして病的なまでにそうなってしまったのか?
彼女の育った環境に怖い母親の姿、飛んできた罵声に傷ついた心があったこと。
文中には言葉として出てきませんが奈津は「アダルトチルドレン(AC)」だと思うのです。
「アダルトチルドレン」とは「幼少期に親の過干渉・虐待などを受けたことにより、成長してから精神的な諸障害に陥っている人々」(→広辞苑)のことで、虐待とはアザができるほどの折檻のような暴力的なもの、性的なもの、言葉や態度による精神的にダメージを与えるものも含まれ、奈津の場合はそれがセックス依存という形で表に出ているのではないかと思えたのです。
アルコール依存、ギャンブル依存、買い物依存、薬物依存、・・・依存の形は様々です。
そして途中からそこに、これも文中には言葉として出てきませんが、夫・省吾の「モラル・ハラスメント」が加わっていることに気付きます。
「モラル・ハラスメント」を簡単に説明することは私にはできません。
「暴力を伴わない精神的虐待」というのが適切な言葉かどうかもわかりませんが、奈津の性格ならば省吾に自分の意見を言えるはずなのに、それができない。
自分の中の息苦しさの正体に奈津自身も気付かず、周囲も全く気付かない。
もしも彼を悪く言う人がいたら「でも、あれで本当は優しい人なのよ」などと庇ってしまう。
でもじわじわと苦しさは募っていく・・・そんな感じでしょうか?
村山由佳さんがその辺を意識的に書かれたのかどうかはわかりませんが、単なる官能小説とは私は思えませんでした。