自分は地方在住で現在、休暇中の名目の下でニート生活を送っている。


でも、その生活の中で少しづつ海技試験、TOEICの勉強を目標を少しづつ齧るように勉強しています。


本当に日々、微々たるものですが。 ただ、衣食住には不足していない事が救いかな。





さて、最近ふと色々と自分の身の回りやニュースを見ていて思った事なのだけれど、


結構、性別年齢問わず幸せになりたいと思っている人って沢山居るみたいね。


結構な事だと思う。 別にその思い自体否定するものでもないし。


ただ、幸せになりたいって思う、言う人は沢山いるのだけれど、



誰かを幸せにしたい、幸せにしてあげたいって思っている人ってどれ位いるのかなって思うんだ。


今の日本は絶望の国と言われている。 景気が底辺のところまでいっているからね。残念ながらそうない。


ただ、幸せになりたいと思っているにもかかわらず、何故か幸せを感じていない人が多過ぎる様に見えるのは何故だろう?


人間はそもそも自分の事が一番大切な生き物の筈だ。 それも間違いないと思う。


特に女性は次の世代に命を残す役割も機能も持っているため、尚更、男性と比較してその傾向が強い様に思える。


だけど、身近な女性を見ているとあまり幸せを感じている様に見えない。


世の中の顔を合わせた事の無い女性の話を聞いても、明るいニュースを聞くことが少ない。


本当に幸せになりたいと思っているのだろうか?


こんな仮説を自分は持ってみた。 これは身近に居るある女性のお話。



一言で言うと、ギブアンドテイクの崩壊。 または無償の愛の限界って行ったところでしょうか。


何事にも限度ってあるんです。 無償の愛って本当に聞こえは素晴らしいよね。 実践する時はします。


ただ、回数というか限度制限は自分の中でかけますけど。 そうじゃないと、いつか必ず崩壊する事が分かりきっているから。


話は戻るけど、幸せになれない人って悪い言い方をすれば、人にはそれなりに大きな事、重い事等を平気で求めるけれど、


自分は何も与え続けない等、結果的に自分の幸せばかり求めすぎて、どこかで何かに足を引っ張られて悲惨な失敗をする人が


非常に多い様に見えるんだわ。 もうここまで来たら気のせいではないと思う。


お金を貰って当たり前、家事をして貰って当たり前、気遣って貰って当たり前、手伝って貰って当たり前とまあ、


親しき仲にも礼儀有りの言葉に通じる所があるのだけど、これが全く出来ていない、その人の中で欠落しているから


不幸になるんじゃないの?


自分はそう思っています。 中途半端に相手を、自分以外の人をぞんざいにするのであればせめてスッパリ切ってあげた方が


それで終わるからかえって親切にも見える。



なんだかなあ、


出来ちゃった結婚で離婚した人、お金がないのに結婚して離婚した人とかDV、 その他のつまらない犯罪、


実はかなり人の質の劣化が招いている様にしか見えない。


自分は性格は良くないし、頭もそんなに優れている人間ではないけれど、やはり人に何かしてもらったらお礼は言うし、


世話になった周囲の人にはそれなりにいつか何らかの形で還元するよう考えて生活しています。


身内ですら、無償の愛で色々助けられたり、提供してもらった事があってもいつか、出来るだけ早く還元する様には考えています。


一方的なメリットなんて長い目で見たら、成り立たない事が多いのです。


自分はつまらない事件や事故に巻き込まれたくない、犯罪者になりたくないそう考えて、自分以外の人の事も考えて


自分の幸せを考えます。 


それで生きて行って何かあるかもしれないけれど、 つまらない後悔はきっとしないと思うから。


昔は正義の味方になりたかったんだ。