今日は半年ぶりの山梨倉庫へ。
数字で目標や方向性は決めるけど、実際に商品の物量や作業をする方々の現実、実物を体感として直視するのは絶対重要。
間違えた方向性を出してしまうと大変なことになっちゃうという責任感をひしひしと感じるから、正しく物も人も感じなければ。
年齢や肩書きは知らぬ間に中身を伴わず上がってしまうので、衰えていく体力や知力も正しく認識して低めに見積らなくちゃ。
世の中の流れは早くなるのに、母体が重くなる分、舵を切ってもゆっくりしか動かないこともある。
だからこそ、考えること。考える元となることを正確に認識することは絶対に重要。
私にしか決められないことを、間違えてはいけない。
働く人がいつの間にか歳下だらけになり、その人たちの子供も大人になり、時の流れも感じるなぁ。
ヤマ勘力だけでよくここまでやってこれたもんだ(笑)
久しぶりに「鞄」という安部公房の短編小説を想い、何十年も前に教科書で読んで以来読み返したこともないんだけど、私には「鞄」と言う重しが必要だと、仕事に関してはずっとそう思ってる。
特に行きたい場所があるわけでもなく、でも何もしなくていいならサボれるだけサボっていたい「サボり症」という病気持ち。
だから、自分には重ための鞄を持ちながら、ヨロヨロ歩かざるを得ないことが原動力。
止まれば沈んでしまう程度の重たさの鞄の中身は山梨倉庫に常にあるのだ。
一応、年相応に重たすぎる鞄の中身は軽くしていっているつもりなんだけど、それは単純に在庫という意味ではなく、、、まあ、そーゆーこと。
山梨行きのタイミングすら思い付きなんだけど、こーゆー野生の勘は当たるタイプ(笑)
やりたいとか、逆にプレッシャーから逃げたいとか、そーゆーことでもなくて、仕事のときには持っているのが当たり前の鞄なんだな。
私にとって仕事は自分が自由でいるための手段なので、それはシャチョーもそう。
見栄や夢より生活の糧。
ただ、どうせ働くなら最大限効率でやりたいのも性格がそうなので、無駄や不毛な作業は大嫌い。自分がじゃなく全てに於いてそう。
気が付いたら見なかったフリも絶対ダメ。
巨大ブーメランに必ずやられちゃうから、問題があれば逃げずに根絶。
山梨に行くと、普段は考えないようなことを考えることになるので、とても良い。
10年後も自由でいるために、今考えて、なるべく間違えない方針を作らねば。
んで、ほうとうも大好きだからそれも良し♪