急に懐かしいぞ。 | 深夜のしゃべりたい欲を満たすひとりごと

深夜のしゃべりたい欲を満たすひとりごと

記憶力皆無の脳を助けるための日記

ちょいと写真探しをするために、思い出BOXを開けたら、取っておいた記憶もないものがたーくさん出てきて進まない(笑)


ぐちゃぐちゃに整理されないままの写真は、幼少期から10年前くらいまでがランダムに飛び出る形式。。。




完全に昭和な実家。

扇風機が確かにあそこにあったなぁ。

見た目より実利をとる母らしい配置。


掘りごたつがあって、テレビがあって、仏壇があって。


子供だった私たちが大人サイズになったときには6人家族でここにいるとだいぶ狭かったんだな。

まあ、和室ってそーだよね。




別角度から。

格子戸はトイレ。

茶の間横に引き戸のトイレがあって、そこは外のように寒かった記憶。もちろん和式だったと思う。


その奥は食卓。

最大7人で食事してたから、こちらも狭かっただろうね。




上のおねぇちゃんの結婚式。

かわいかったんだなぁ。。。






通称「銀座のおばちゃん」こと大叔母の多恵子おばちゃんが、私たち三姉妹を連れて京都に連れて行ってくれたときの写真。


「ちゃんとした格好で行きなさいよ」と言われて普段はジーンズにトレーナーくらいの服しかないから、キレイめの服を買ってもらったのかおねぇちゃん達に借りたのか。


このときに、おばちゃんに円山公園近くの大谷祖廟を案内されて、おばちゃんは子供がいないからここのお墓に入るから、京都観光にきたときはお参りしてね。と教えて貰い、今も守っているのだ。


このときに、お参りにきて貰うんだからと、とってもとっで贅沢な旅行をさせてもらい、美味しい料理をとても広い和室で食べさせてもらって、豪華旅館と豪華ホテルに泊まらせてもらったんだもの。


高校を休んで行った気がする。





これは、何度も何度も読んだお手紙。

中高一貫教育の学校だったから、中学1年生でソフトボール部に入部したら一番上は高校三年生。


上下関係は非常に厳しかったので、「中2の方」「高1の方」みたいに呼んでいて、「高3の方」は直接お話しなんかはぜったいできない雲の上の方。


べらぼうに上手なキャッチャーでキャプテンの小柳さんは超憧れの先輩だったから、お誕生日プレゼントのお礼状を頂き大感激。


ハナタレ小僧のチュー坊にこんなキチンとしたお手紙をくださるなんて、やっぱり私は自分がだらしないからきっちりした方に憧れる傾向があったんだね。


一緒に校内にいたのは1年間だけだったけど、子供が出来て女の子だったら「志乃」という名前にしよう。ということは、大人になってからもずーーーっと思ってたんだよなぁ。

子供産まなかったから忘れてたけど(笑)


卒業後は一度だけ?ん??毎年だったっけかな?文化祭でお会いした気がする。


女子校だったから、下級生は誰か上級生のファンをやる。みたいなのがあって、私のファン(笑)からもらった貴重なお手紙もとってあって赤面だよ。


嬉しかったんだろうねぇ。今見ても嬉しいもの。








これはその中高での友達の「バカ会」ってのが今もあるんだけど、内容が面白かったからか保存されてた。


面白い(笑)


もちろんバカ会のメンツは全員とても面白い♪

だから好き♪♪


今も楽しいが昔もずっと楽しかったようだね。

なによりなにより♪


んで、お目当ての写真はけっこう早く見つかってたんだけど、しばし思い出に浸って、、、また次回開けるときのためにぐちゃぐちゃに戻しといた(笑)


週末にバカ会のチビちゃんが遊びに来るから、また引っ張り出して一緒に見ようっと♪


いつか何かでスターになって、子供の頃の写真をテレビ番組に提供しようと思ってたんだけど、残念ながらスターにならなかったので出す機会なかったなぁ。。。面白い写真もたくさんあったのに残念(笑)


スマホになってからは紙焼きの写真がほぼないからねぇ。

ガラケー時代の画像はなくなっちゃったし、スマホになってからも2年分くらいの写真消滅させちゃったから、やっぱときどきは紙の写真あるといいせどねぇ。


子供時代が紙焼きの時代で、なんだか良かった気がする。


49歳、確かに色んなことがあったなぁ。。。


(完)