ボクシング。 | 深夜のしゃべりたい欲を満たすひとりごと

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記憶力皆無の脳を助けるための日記

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むかーしむかしにワタナベジムで一緒だった江畑さんが知らぬ間にプロボクサーだったのだ。

さらに世界チャンピオンで引退して復帰して、んでまた世界戦だったのだ。

40才だよ?

すごいなあ!!

身体もキレッキレ!

動きもキレッキレ!!

眩しすぎたわ。。。

ああ、私は何もしてこなかったなあ。。。
なんて思いつつ、試合が始まったら大絶叫だったけどね(笑)

もともとサンタフェっていう、女子だけのジムに通い始めて、、、

何がキッカケだったか、いつからかわからない。

大学生のときだったんだけど、1年からやってた気がしてたけど、写真の前後の日付見ると3年、4年あたりかな?

レッスルでバイトしてた頃だと思うんだけど、卒業するときは寿司屋で働いてたような気もするし。。。

当時にブログちゅーものがあればねえ。。。

あれは覚えてる。

サンタフェに各駅停車ぶらり旅みたいな番組のロケが入って、小倉久寛さんがレポーターだったんだけど、女子相手にスパーリングでマジで体当たりとかして、イヤな人だな。って思ったこと(笑)

私がスパーリングしたんじゃないけど覚えてるくらい、「なんだ??」って思ったんだと思う(笑)

大学前半は気持ちがヤサグレてたから、後半だったのかもしれないなあ。

博物館学の先生に
「腐った魚の目をしてる」
って言われた頃はボクシングやってなかったもん。きっと。覚えてないけど(笑)

もう宮崎台に住んでたんだろうから、わざわざ五反田に通ってたはずなんだよなあ。

記憶ないなあ。。。

ジム辞めてからトレーナーの人とわずかに付き合ったのはさすがに覚えてる(笑)

何がキッカケだったかは覚えてないけど、クレーン車の免許持ってて、UFOキャッチャーがものすごく上手かったのは覚えてる(笑)

選手の人で憧れのかっこいい人がいたのは覚えてるけど、名前も顔も思い出せない(笑)

うーーーーん。忘れちゃったというか、覚えてないねえ。殆どのことを。

友達が青学のボクシング部のマネージャーをしてて、その子が高橋ナオト?のファンで、私はナジームハメドが好きだった。

あ、おなじくナジームハメドの話を対等にできる男子がいて、格闘技趣味が合うので好きになったけど、たぶん4.5回告白してんのにずっと断られたなあ。

今となってはどこの誰だったんだか。。。忘れた(笑)

たぶん、ボクシング辞めたのは、女子は試合がないって知ったから。

これからプロとして女子が認められるように活動していこう。くらいの時期だったのだ。

江畑さんはそれから10年後にプロになったみたい。プロフィールによると。。。
その間、ずっと活動してしていたんだろうし、今日は後楽園にかなりお客様がいて、ものすごく熱く盛り上がってたんだよねえ。

身内だから応援する的な雰囲気じゃなくて、本当に各試合が見応えがあって面白かったのだ。

みんなみんな、ないところから時代を作ってきたんだなあ。と思ったら泣けてきたよ。

それに引き換え、私はいつでも大変なことからは逃げまくっての今だからねえ。

スポーツ選手として、まだこれから頑張れる。って年来のときのほうが何もしないことに対してモヤモヤしたけど、今はそんな気持ちなくなってたのだ。

でも同年代で、あんなに現役で頑張ってる人を見たら
「ああ、私は何もしてこなかった。情けなくどーしょーもない人間だ」
って懐かしい感情がひっさびさに出たよ。

甘酸っぱい感じかね。

けっこう、人生でやりたいことはやってきたつもりだけど、忘れてるだけで諦めちゃったこともあったねえ。

不甲斐ない。

なんか、そんなわけで、昔の写真見てみたりして、ノスタルジックな気持ち。

当時にもらったお手紙とかも出てきてね、就職活動のあたりでやっと携帯登場だもんなあ。

大学時代はピッチとポケボーだよ。ポケットボードね(笑)
まだ課金されてるけどさ(笑)

だから、会話になるほどのメールちゅーもんがなかったらしく、友達や家族からもお手紙をもらっていたようで、それがチラホラ残ってたのだ。

なんか温かくて、自分ではヤサグレてたと思っても、写真見れば楽しそうだし、手紙見れば愛されてるし、なんも成し遂げてはいないけど、良い人生だったなあ。なんてね。

そんなこんなのあんなこんな。でしたねっと。