中島みゆきさんのコンサート。
コンセプトは知らないけど、ヒット曲集のようなコンサートではなく、しっかりじっくり聴かせてくれたり、迫力で迫ってきたりと好きな人にはたまらない内容。
シングル曲はどうしても聴きすぎてしまって、歌詞や意味以外のものが雑念で混じりこむので、アルバムを一人で聴く感覚に近いコンサート。
そんなに調子が良さそうとは思えず、バンドさんの大きなミスもあり、ナマモノ感がその場で共有されていくこの感覚がアルバムを聴くのとはまた違って、ナマモノ好きな私は大満足。
学生の頃に聴いていたときには、中島みゆきといえば泥沼の恋愛。振られたときのお供。という感じだったけど、恋愛世代も終えて聴く今は、社会派の内容に惹かれる。
詩を切り取っても言葉が匠の技という意味で巧みで、このオリジナリティー溢れる表現は聴くたびに新鮮。
一番グッときたのはピアニッシモ。
まあ、これは冬美ちゃんを思い浮かべてだけど、決して熱唱部分ではない歌い出しからスーッと心に沁みてくる感じと、このピアニッシモの詩の世界がリンクして共感。
ここ5年くらいのアルバムからの選曲が多かったけど、やっぱり何年も聴き続けた時代の曲のほうが、自分の記憶や感情が深く重なるだけ聴きやすかった。
聴き込んだアルバムとさらりと聴いただけのアルバムは違うねえ。
今も新しい作品が生まれ続けてるわけで、今の作品も現役で聴いてよ。と言われているような気持ちも感じたなあ。
昔の人として、勝手に思い出ゾーンに入れてんじゃねーよ!ってね。
漠然と思ったのは、成長と老化について。
これもまた冬美ちゃんを想いながらだけど、筋力や体力なら下がっていくだけだけど、心の成長は右肩上がりが続いた場合、深みという形で作品自体は成長を続けるんだなあ。みたいな。
トップを走り続けながら、感じる心を失わず、吸収を続けると老化を超えて成長があるのか。なんて。
二葉先生には、歌以外に「心の修行」という言葉で歌手としての成長を促された話があるけど、歌唱力や表現力をすでに限界値まで持っていてなお成長するには、中身の器という意味だろうか。
まあ、小物の自分には置き換える術もないけど、一流の方々同士がアスリートでも芸術家でも歌手でも共感し合うのは、そういった心が分かり合うからなんでしょうねえ。
イルカショーを見て、「私も頑張ろう」と思う心。いや違うか(笑)
まあ、そんなこんなで今夜は昔から聞いているアルバムを気持ちよく聴きながら寝ようっと。