今日は高校卒業以来、22年振りに高校三年生のときの担任の先生に会いに行った。
他の先生には大学時代やそれも卒業してからも、きっと学園祭とかで挨拶させてもらっていたけど…
そんなに先生と仲良くするタイプではなかったので、部活の顧問以外には覚えられてないだろうな…と思ってたし。
高3の担任の清水先生も特に話した記憶もないけど、卒業間際の1月に私が全日本女子プロレスのオーディション受けて、受かったから新聞に
「有名女子大の優先入学を蹴って女子プロレス入りの変わり種」
ってデカデカ載っちゃって。
学校名も出てたから問題になって、校長室に両親と呼ばれ…みたいな事件があって。
大人がみんな、あの手この手で諦めさせようと説得してきて…
それぞれの立場で反対する人も、本当にやめたほうがいい。と思ってる人も、いろいろいたと今は思う。
そんな全員が反対の中、清水先生だけは
「本当にやりたいことなんだろう?俺が責任とって来年一年担任から復担任になるくらいでお前は諦めないでいいんだぞ。後悔のないように。」
と言ってくれた。
大人たちが、私がした大学優先枠とプロレスの二股で責任を取らされるのか?
やっと…
初めて、やっちゃいけないことを自分がしたことが理解できて、一晩考えて、間違いなくずっと後悔はするけれど、諦めることを決めた。
自分のしたことの責任をとることは、とても辛かった。
後悔しながら送る大学時代には教授に
「腐った魚の目をしてる」
とも言われた。
清水先生は決して自分で責任を取れと言ったんじゃなく、未熟なお前の責任を肩代わりしてやるから、お前は行け!と言ってくれたんだ。
結果的には諦める決心につながったけど、先生がたいして話したこともない生徒にこんな言葉をくれたことが、言葉にはできない程うれしかった。
いつかは、そのお礼が言いたいとは思いつつ、先生の言葉から諦めた人生が、諦めなかった人生より幸せだと本心で思えるまで、合わせる顔がないとも思っていた。
たまたま、Facebookで清水先生の古希のお祝いをするという情報を見て、誘われてないけど参加表明して、卒業以来会ってもいない元クラスメイトとともに9人で参加。
私のこと……私には大事件だけど先生には日常だから覚えてないかな?覚えられてなくても、一から説明してお礼を言おう。
こんなタイミングは22年で初めてだったから、今なんだろう。と思って……
集まって、自己紹介して……楽しくみんなの自己紹介にチャチャ入れながら……
自分の番のときにこの話をして、今はしっかり幸せになってるからありがとうございましたと言えた。
先生は……
忘れるわけないだろ。
副担任?俺そんなこと言った?
副担任どころか、進退がかかってたんだぞ。
辞表取られても、生徒がやりたいことやらせてやる。
そう思ってた。俺は反体制だからな!
と、武勇伝のようにかっこよく話してくれた。
他に集まった子も、それぞれの清水先生にヤバいところを救われた話を持っていて…
退学を免れたとか、留年しても卒業できたのは先生のおかげとか、大学の優先枠に点数が足りないけどねじ込んでくれたとか(笑)
そうやって先生にお世話になった同級生は、毎年年賀状で近況報告することで感謝を表していたらしい……
私は書いたことないね…
お前らの今が素敵ならいいんだ。
そんなことを平気で本気で言っちゃう先生。
素晴らしい先生に教わっていたんだなあ。
中年になって、涙もろくなった私達は、先生の熱い言葉にちょっと泣いちゃったね。