私の中で生きるもの | 深夜のしゃべりたい欲を満たすひとりごと

深夜のしゃべりたい欲を満たすひとりごと

記憶力皆無の脳を助けるための日記

ゴハンではよく家族の話しをする。
特に今年死んじゃったおばあちゃん、あーちゃんの話しをする。
少し寂しいけど私が話すことで私の中にいるあーちゃんがとても近く感じられる。
近いというよりは私の中身の一部があーちゃんなんだなぁ。って思う。
銀座のおばちゃんも一緒。
死んでない人でも、関わりをもった全ての人や出来事が今の私を作ってるんだと思う。

昔は人との関わり方を「交わりたいけど混ざりたくない」と思っていた。

何かと一緒になることが嫌だったし、何か無しでは自分でなくなってしまうのが怖かった。

大人になったせいか、今はそう思わない。

私に関わる全ての人や事柄で自分ができていることを感じていることが幸せだと思う。

人に何かをしてあげるほどの余裕も大きさもないけど、ほんの少しでも私も人の中の一部として感じてもらっていたらうれしい。

これまた高校卒業の頃かな?
私は人に影響を与えられるような仕事がしたいと考えていた。

夢破れ、レスラーにはなれなかったけど、レスラーになりたかったのも、小学生でいつでも死んで消えちゃいたいと思ってた自分に、なんだか生きる希望を与えるという大きな影響を与えてくれたプロレスを自分が逆の立場でしたいと思っていたから。

大人になるに従って、人に良い影響を与えるにはまずは自分が何者かである必要があることに気付いていった。

大して立派ではなくとも、全部ではなくとも、少しの部分だけでも何者かでありたいと今も思う。

得意なことだけでもいいから、何者にかなりたいと今も思う。

人より胸を張って努力したと言い切れるものが欲しいし、それは大変なことだとも今は知っている。その上でもやっぱり何者かでありたいと思う。

こうした思考に至るには、やはり私の関わった人やものが私の中に生きているからだと思う。

悩み深い人にはそんなに難しく考えないで。と言いたいし、なまっちょろいこと言う人にはバーカバーカ!って言いたい。

だけど何者でもない人の言うことは誰も真面目に聞いてくれないから。

人生の折り返し地点を回ったのか、まだなのかもわからないけど、なんとなくそろそろまたわかりそうなこともある。

とにかく、たくさんのことに感謝しながら一歩ずつ色んなことを考えながら毎日を大切に生きていたいな。
幸せを深く感じながら、それを人に分けられるくらいはでっかい人間になりたいな。

あーちゃん、私、なれるかな?頑張るね!いっぱい教えてもらったこと、まだまだできてないことだらけだけど、せっかく教えてもらったんだから無駄にばかりしないようにね。

まだまだ気長に愛想尽かさずに私の中で生きていてね!