「着地」という言葉を使うのは、毎年決算のときくらいかな?
たいがいが「足首をくじくような着地にならないように・・・」と使います(笑)
今年もなんとか両足着地ができました。
経営などもちろんやったことがなかった私は、初年度の決算を迎えるとき、決算の意味が全くわからず、経営者だった実のパパちゃんに聞きました。
「決算ってなに??」と。
パパちゃんは、酔っ払ってなかったせいか珍しくまともに答えてくれました。
「決算ってのはさぁ。区切りなんだよ。毎月締めたり一年間で締めたり、区切りがないと会社ってのは利益が出たかどうかわからないだろ?売り上げは継続的だし、仕入れも継続的だし、それに人工的に区切りをつけることで、今時点で会社が儲かっているのか損しているのかを見るのが決算なんだよ。」
うん。なるほど。
ある時点での数字を見て、そこから推論をしてこうしてみよう。あれしちゃダメだったのか。っていう日常の数値分析は得意だけど、区切りをつけて何らかの意味が出るとは。会社ってそーゆーもんなのかぁ。ってそのときに知ったんだよねぇ。
んで、5回目の決算を迎えたのでその数値から一年間やってきたことが当初立てていた計画と何がズレて、何がズレなかったのか。そんな会議を今日していたのだ。
わたし、こーゆーの好き。楽しい。
数値分析ってのも結構好きで、同じ数字でも読み解く側の意図によって、数字が持つ意味ってどうにでも変わると思うんだよね。
これは、昔読んだ本に書いてあったんだけど、統計を使った資料の活用法。的な内容だったと思うのね。
ただのアンケート結果の生データがあるけど、その数字を使用したい意図に合わせて集計することができる。
みたいなことが書いてあったと思うんだよね。もちろんうる覚えだけど(笑)
例えば、20代から年代別に保険加入者の比率を表した生データがあるとして、そのデータが20代から60代に向けて10%ずつ上昇しているようなデータだったとするじゃん。
私が保険の勧誘の仕事をしていて、そのデータを活用するときに、20代を勧誘するなら、20代から60代までの平均をとって「世の中的な平均加入率は60%ですよ。あなたは少数派の40%に含まれているから人並みの生活をするんだったら入っとけば。」っていう使い方をする。と。
50代を勧誘するなら同じデータから、加入率の上昇をそのまま見せて「大人としての責任感に比例して加入率は増えているから、50代のあなたは今が加入するタイミングなんです」と説得する。
そんな感じに、自分が導きたいように生データを加工してさも「統計学に基づいた」データとして活用することができる。
みたいなね。
逆に、正しい状況を分析したいのであれば、平均をとったり、構成をみたり、降順、昇順に並び替えたり、期間を区切ってみたり、いろんな角度から生データを加工してみることだと思うんだよね。
そうすると、自分の立てた推論と実際の数値から読み取れるいくつかの切り口の結果を照らし合わせることができるから。
難しい??いや、楽しいんだよねぇ。これが。
商品を仕入れるときや生産するときも、数量を決める仕事は私がするんだけど、実際の生データがあればあるほど精度の良い生産計画が立てられる。当たり前のことなんだけど、けっこう私が山勘で在庫数を決めてると思ってる人は多いんだよね。意外とたくさんの計算とたくさんの蓄積されたデータを分析して出しているんだけどね。
だから、生データを間違わずに登録してくれている受発注担当や、いろいろな抽出方法でデータ分析の元となるデータを取りやすくするシステム開発にはかなりの比重で時間もお金も投資しているんだよねぇ。
理数系の分析ではなくて、思いっきり文系の分析。だから、数値と実際に起こったことの記憶が結びつかないと分析ができない。数値から変化を感じることもあれば、空気や会話から感じたことを数値で確認することもある。
私にとっては、この動物的な勘も、確実に目に見える実績数字も同じ重さで重要なのだ。
数値で注目するのは、幼稚園生でもやる「仲間はずれ」を探すことかな。
キリン、ゾウ、キムチ、ネコ。仲間はずれは誰でしょう。って。
イレギュラー値を敏感に感じると、問題の発覚も売れてくる商品も、利益を生む要素も見極めが早くなる。
良いことが起きるときも、悪いことが起きるときも「予兆」はあるから、それを拾い上げて検証するとやるべき行動計画まで落とし込めるのだ。
イレギュラー値に気付くためには、日常のざっくりした平均や数字が染み込んでることが重要なんだ。
キリンとゾウとネコが動物である。ってことを知っていること。これが日常から学んでいること。
幼稚園生は「キムチ」は知らないかも知れないけど、自分が知っている動物じゃない。ということはうっすら気付く。あれ?動物じゃない。と思うか、ゾウとキリンとネコは知ってる。でもキムチは知らない。というわけ方でも仲間はずれ探しはできるのだ。
動物と食べ物。とわかれば食べ物に注目することもできるし、キムチが何物か知らないことに気付けば、キムチをよく調べてみればよい。
キムチは必要なものなのか、それとも害になるものなのか、誰にとっては良いもので、誰にとっては害なのか。
などなど。
随分と話は飛躍したけど、決算の数字も読み解くのは基本的に同じ。
各項目に関してイレギュラーは何か。それは気付いていたことか、それとも気付かぬまま出てきたものか。改善の必要があるのか、何と関連しているのか。etc・・・
毎日見ている数字はあるし、月間でも累計でも見ている。それでも年間通さないと見えないものも出てくる。
「ざっくりマンデー」っていう面白い深夜番組があるけど、まさにざっくり言えばそーゆーこと。
前期の決算のこの着地の確定数値を確認する2ヶ月以上前から、今期はじめに私がやるべきこと。会社に必要なことはわかっていたし、見えていて、もう11月から実践している。
今日は、その走り出している方向性が数値と見合わせても正しいものなのかを検証してみたに過ぎない。
私にとっては演算のようなものだ。
おそらく、このへんの微妙な変化やズレ、イレギュラーがどこから起きているかを検証するスピードが私にはあるんだと思う。だから、修正が早い。見切りも早いし、迷いがない。
何故、今これをしなければならないか。を検証する前に動き出している。でも、本当にそれは山勘なんかじゃなく、日々の数字と行動から計算されているんだってば。
「情報処理」能力は、はき出しを行動計画までと定義するなら圧倒的に人間の脳が有能だと思う。
PCのソフトでできるのは入力と抽出まで。はき出したものを行動に移す計画にまでできるものは人間の力なんだと思う。
記憶と経験が脳にはためられていて、それが必要なときに紐づいて出てくる。それが直感と思う人もいれば思考と思う人もいるけど、要は情報処理能力だと思う。
同じ仕事を繰り返してしていると、PCの情報処理のほうが有能になる。
PCではまかないきれない情報処理とは、数値と行動の絡まった複雑な案件だったり、チラッと目にしたニュースだったり、何気なく聞こえてきた会話のように、入力するまでもないがその人の周りをかすめていったような情報なんだと思う。
この、人の情報処理能力は進化もするし退化もする。
つねに研ぎ澄まされてこの能力を発達させるには、忙しく同時にたくさんの案件を考えることなんだと思う。
私の場合は数字と行動がつながりやすいが、社長の場合は人の話と行動がつながりやすい。人と話したときに得る情報量が同じ状況に私がいるときでも圧倒的に社長が得る情報量は多い。共有できる部分もあれば、数字に関しては私が補足・解説する機会が多い。反対に人から得る情報に関しては社長が補足してくれることが多い。
きっと、この話、理解はできても共感はできないんじゃないかな?わかんないと思う。
また話は飛ぶけど、大学のときに書いた自分のレポートを何年か経って読んでみたら理解ができないことがあった。人の思想に関する論文だったけど、その当時は消化できた内容が何年かしたら理解できないほど頭が悪くなってたんだと思う。
使ってない脳は退化するんだと思う。部分的にも。きっと。
だから、こうして、今考えていることや考え方、やり方ってのは少しでも書いて残したほうがいいような気がする。
もしかして、3年でも5年でも経営者としての仕事から離れるかもしれない。そしてまた戻るかもしれない。
そのときに、自分で残したヒントがあれば、同じことを何度も考えなくて済むから(笑)
3ヶ月前に聞かれたり相談されたりして自分なりに考えて答えを出すでしょ?それが実行されぬまま保留になるでしょ?3ヵ月後に同じことをきかれたら、また同じだけ考えないと答えが出てこないんだよね。結果出る答えはたいてい同じなんだけど、やっぱり同じプロセスを踏まないと結論までは出せない。
会社のシステムとwebの連動に関しての目的や具体的な使用例。どんなものを構築したいか。なんて、去年には答えが出てたこと。だけど、うっかり頓挫してて8月くらいに再開したら、ほぼゼロから考えるハメになったからね(笑)
だから、答えを出したものはすぐに行動に移すか、間が開きそうなものは考え方と答えを両方残しておいたほうがいいと思うんだよね。だから書いたのだ。
だって、来年もまた決算はくるでしょ?計画も立てるし、その精度は良くなっていかなくちゃいけないから、ゼロから考えなおすのはいやだもの。
年齢は34歳でしょ。これから経験をしながら伸びる部分もあると思うけど、やっぱり退化していく部分もあると思うからね。予防策。いよ!計画的!
っちゅーことで、脳が疲れた!!