葉隠 | 深夜のしゃべりたい欲を満たすひとりごと

深夜のしゃべりたい欲を満たすひとりごと

記憶力皆無の脳を助けるための日記

武士道とは死ぬこととみつけたり!

大学時代に専攻した日本思想史で一番共感した思想。

私の決断はすごく早いんだけど、この思想を持ってるからだと思う。

戦場で迷っていたら死ぬほうを選べ。考えたら理屈をこねて生きる選択をするが、それは生きていたいという願望から間違った決断をわざと下すことになる。

いつでも死ぬ選択をするためには、毎朝一度死んでおけ。そうすれば死にたくないと迷う必要がない。
「常住死身」だね。

楽よりは苦を選ぶということの過激な言い方だと思う。

作り上げたものもいろいろあるとは思うけど、失うことは恐くない。
いつでもゼロに戻れる。
そう思うことが仕事に於いての常住死身だと思う。

なんとなく上手くいかないとき、もともとは一人で全部やってきたじゃないか。というところまで思考を戻す。
そこから何を考え、何をしてきたか考える。
そして今不足しているのは何かを考える。
答えはすぐに見つかる。

大抵は基本的な作業量が不足しているという答えになる。

あ、そこで楽を選んでしまったのが原因だったか。楽をするために判断を誤ったな。生きるを選んでしまったな。と。

葉隠式のニ択を心掛けていても、つい欲が出て理屈を言い訳をつけては楽を選んでしまう。

うまい話しに乗って全てを失う人は、この話しはおかしいな?と気付いても欲を出して楽を選ぶ人だと思う。
自分に都合のいい話しには裏がある。
判断を間違わないためには悩まずに苦を選ぶこと。

めんどくせーなー。しゃーない!やるか!
って言葉を繰り返し続けるしかない。

失いたくないなら、迷わず捨てること。
失いたくないからとすがりつけば逃げていく。

何を失っても恐くない。そーゆー自分でいれば何も失わない。

私はそう思う。

葉隠の思想には「忍ぶ恋」というのもある。
相手に求めず、ただ慕うだけが一番美しい恋の形だと。見返りを求めない愛こそが本当の愛で、思いを告げることもなく死んでいったとしても、それが愛であると。
愛せたことが幸せで、その思いと、見返りを求める欲とは別だと。

私もそう思う。

主従関係も主を思う気持ちの一方通行で良い。
主に褒美を求めたり、評価を求める主従関係は美しくない。
主が知らないところでも主に尽くせることを幸せと思えてこそ、主従関係である。

私もそう思う。

なんにせよ葉隠の思想は捨て身の思想だ。
外に求めず、自分で完結する。
その意味では誠に自分本位な思想だ。

人に求めれば思うような成果や回答がこないかもしれない。
人のためにすることでも結果を相手に求めなければ裏切られたと思うことも、期待外れだと思うこともない。

私が好きだから愛す。私が尽くしたいから尽くす。私が正しいと思うからする。
自分だけなら迷うこともない。

私の中にある葉隠の思想は、きっと私の中でねじ曲げられ、それでも私の芯になっていると思う。

朝起きてまず死んでおく。

私はこの生き方がかっこいいと思っている。