早くは寝れなかった | 深夜のしゃべりたい欲を満たすひとりごと

深夜のしゃべりたい欲を満たすひとりごと

記憶力皆無の脳を助けるための日記

まぁ、毎日いっぱい寝てたからなんだけどね。


ブログをぐぅ~~っと遡ってみたりして・・・


いろいろあったような、当たり前くらいしかなかったような。


嫌だったこともうれしかったことも、それなりに覚えているし、忘れている。


明日からまた仕事。


仕事は好き。会社も好き。そう言える自分がイチバン好き(笑)


週末のお休みが終わるときはいつでも、そう自分に言い聞かさないと月曜を迎えたくない。


いつかこんな生活も終わる気がするし、いつまでも続くような気もするし。


どこでどう暮らしても楽しかったり、悲しかったり、切なかったりするんだろう。


一度しかない人生を、私は私なりにけっこう充実させて生きていると思う。


こんな環境に、私に関わってくれている人に、ずいぶん深く感謝できるようになった。


きっと、それが成長なんだと思う。


結婚して、家族を通して同じ感覚を持つ人もいれば、きっと同じ環境でも何も感じない人もいるのだろう。


私は、私なりにいろいろな経験から多くの感情を持って生きている。とても幸せなことだと思う。


すべてを辞めてしまいたくなることも定期的にある。


一歩も外に出ず、今ある人間関係を全て断ち切って全く違う人生を初めてみたいという漠然とした欲求に逃げ込みたいときもある。そして、それが不可能だということも知っている。


「何かおもしろいことはないかねぇ~」という口癖は、きっと60歳になったときにも変わらないんだろう。今まで変わらなかったように・・・


どう生きても、それほどドラマチックではなく人に羨ましがられるほどでもないのだろう。


それでも人は生きている意味があるのだろうか。


なんて、ときどき思ったりもする。


でも、そんなくだらない禅問答をする暇もないくらい忙しい毎日を駆け抜けていきたい。


ゴールなんてないけど、せっかく走るなら速くなりたい。そんな想いだけで走れると思う。


だってB型なんだも~~ん。


マジメでもないし、いい人でもないけど、そう思ってくれている人にはそうでありたい。なんとなくね。


私に騙されて不幸になる人がいないといいなぁ。と思う。


私に関わることで悪い方向に向かう人がいないといいなぁ。と思う。


私はひとりでいる限り、そんなに悪影響は与えないつもりなんだけど、どうだろうね。それは関わる人が決めることで私にはわからないことだから・・・


へんなやる気が沸きあがってきているときだけ、私はなんだかいい人になれる気がする。漠然としていて本当はよくわからない。まぁ、いっか。


頭ではそんなに考えなくても、指が勝手にこのブログを打つ。

私の脳を本当に通って出てきている言葉なのだろうか。それさえを疑うほど自分がわからなくなるときがある。


全く心は病んでいないけど、ときどき疲れて漠然とした不安が襲ってくる。これを退散させるには忙しく仕事をすること。たくさんの人と話すこと。そう。解決法も知っている。

イチバン長く、イチバン深く付き合っているのは、他でもない自分自身だから、私は私の扱い方を良く知っていて、取り扱い説明書は頭の中に入っている。


ダラダラと出てくる真実かそうでないかもわからない言葉たちが、創り上げたい自分を作っていく。


どうでもいいことを、さも大変なように騒ぎ立てながら、ワイワイと過ごして生涯を終えたい。


好きな人たちが私の周りで幸せそうにしている姿をみながら、いつでも笑っていたい。


誰にも悲しく切ないことが起きて欲しくはないのに、ときどきそんなことが起きる。


そのたびに私はうろたえて、全く持論が役に立たないことに気付く。そして、気付いたことを見ないようにして日常に逃げ込む。


誰かに支えてもらいたいと思うけど、私は誰かを支えたりできないんだと自己嫌悪する。


でも、多くの人は皆同じようなもんだろう。そんなもんだろう。何者でもなくて、たくさんたくさんいるつまらない人間として、くだらないことばかりしてそれでも充分に生きていけるのだから。


読み返す気もないが、こーやって長く書いてある私の文はとてもつまらないし不愉快だ。


でも、それがストレス発散なのだから仕方がない。読まなければいいだけだから。とりあえず書きたいだけ書けばいいんだ。


あ~~~~悶々とした思いは睡眠に入ればなくなってしまうけど、何も考えなかったわけではないんだと振り返りたいためだけの文章。