真面目にビジネスを考える夜 | 深夜のしゃべりたい欲を満たすひとりごと

深夜のしゃべりたい欲を満たすひとりごと

記憶力皆無の脳を助けるための日記

仕事できっと大成功を収めているだろう人と話す機会に恵まれ、先日教えてもらったこと。たくさん。

もう半分以上忘れてしまったけど(笑)これ以上忘れると申し訳ないから、だだだだっと書いておこう。


まず。


会社創立メンバーに入って、さらにその会社が右肩上がりの成長を遂げる確率は、自分が社長になる確率よりもはるかに低い。


そこで得られる感動やモチベーションは、それを味わったことの無い人には経験できず、それを味わった人の「熱量」は悲しいことに月日とともに「減退」していく。


モチベーションを保つためには、常に新たなプロジェクトを企画し、推進すること。


最初は大変だけど、体力がつけばそれはある日楽になる。


陸上の練習をして、ずっとただただ筋肉痛になるのに、ある日突然早く走れるようになっている。

努力(筋肉痛)が筋肉に変わり、今までできなかったことが可能になっていく。


一度可能になったことは、他でも応用がきき、一度作った基礎体力が他のスポーツにも活かせるように、他の仕事をこなす力にもなっていく。



初期メンバーとあとから雇われた人のモチベーションを一緒にするのは不可能。

だが、そのことに気づくのはあとから雇われた人がいるから。


3人だけではじめた会社が、ずっと3人でつづくなら、その3人は初期メンバーではない。


3人で始めた会社が10人になったとき、はじめて最初の3人が初期メンバーだと認識する。

10人が30人になったとき、はじめて10人が初期メンバーだったと認識し、30人が100人になったときにはその30人は初期メンバーだという結束で結ばれる。


つまりは、比較対象があるからそこに結束が生まれ、そのことは当たり前で自然なことである。


どんなに大きな会社でも、取締役・常務・専務までで7つまでしか役職がない。


どんな会社でも大きく仕事を分ければ、営業・人事・経理・総務・仕入れ・生産・広報など7つの大きな括りにわけられる。


その長を務めるのが組織の中枢であり、その人を束ねるのが経営者であり、そこで決まることが経営方針である。


初期メンバーがその組織を構成するのが望ましいが、ときには後から入ったメンバーが飛びぬけてそこに入ってくる場合がある。そういった人材は大切にするべきだ。


時間なく働いて成功していくと、いずれ人脈や地位が時間をカバーするようになる。

相手に合わせてスケジュールを立てるのと、相手が自分に合わせて仕事をするのでは効率がまったく違う。

その立場になって仕事ができるようになると、不可能と思える仕事量をこなせるようになる。


組織作りをするときは、各責任者である7人の侍に自分の仕事のやり方を教え(仕事ができる人の場合ね)、その7人が自分がいなくなってもそれぞれの長として的確な判断を下せるようになるまで教育すれば、その組織は完成し自分がいなくても機能するようになる。


人の多さは1と3が境目。

3人の次は10人。10人の次は30人。30人の次は50人ではなく100人。100人の次は300人・・・・という考え方をする。

その1と3の境目が組織編制を変更するべき時である。



こんな感じだったっけかなぁ。

心に残ったことだけでこれだけある。

ほんの2時間くらいだったけど、経営コンサルタントじゃない人だけど実績もあって説得力がある。

事実、この人はやってきたんだろうなぁ。と思える。

もっともっとたくさん仕事を教わりたいと思う。


何度も会っているわけじゃないけど、無条件に教えて欲しい!と思える人にめぐり合えたことに感謝したい。


ビジネス書を読まないわけではないけど、ただの成功体験や、もっとひどいのは他人の会社を並べて批評しているもの。

思わず「お前がやったんかい!」と突っ込んでしまうし、読む気が失せる。


成功した話しを読んだからといって、もう同じ成功はない。

危機管理に関しては別で、たくさんの事例を学び、落とし穴にはまらないことは重要である。


失敗から学ぶことは多いが、他人の成功からはそうそう学ぶことはない。これは私の考え。


社長業もそうだが、成功には何かしら「才能」がつきもの。

概ね「勘」だったり、「運」だったりすることが多い。


だが、失敗には必ず原因がある。

「油断」や「無知」や「驕り」など。改善のしようがある原因がある。


ならば、成功するチャンスを失敗をしないで待つことができれば、いずれ成功はやってくるかもしれない。

私の仕事は「失敗させない」ことであり、社長の仕事は「成功させる」ことである。


振り返れば、ずいぶん高くまで登ってきた気もするが、まだただの坂道でこの先何があるのかもわからない。

行く道が坂だったから登っただけ。


「あの山を登ろう」と決めて出発できるには、まだまだ体力も知力も足りないようだ。


5年、10年先の目標を決めて山に登るには、その山に登る価値がなければ途中で諦めてしまうかもしれない。


正直、まだまだ大きな目標は見つかりそうにない。


冒険家のように一生さまよってもいたくないけれど、頂上からの景色を見たら、また次の山に登りたくなるのかもしれない。


先はどうなるのかわからないから、今は一歩一歩自分の足で歩けるところまで行ってみたい。


筋肉痛にならないくらい体力がついたら・・・・


どんな発想で仕事をするようになれるのか。楽しみだ。