多恵子おばさんのお骨は分骨して、うちとダンナサマの家と、そしてダンナサマの分骨したお骨が納められている京都にそれぞれ納められることになった。
おばさんが生きていれば、「死んでしまったらどうなってもわからないんだから、空からでも撒いてちょーだい」と言うのか、としこちゃんに任せるわ。と言うのか。
今日はまずうちのお墓に納める納骨。
曾祖母が亡くなったのが私が10才のときで、それ以来お墓を開けていなかった。
お墓を開けると、ものすごくたくさん骨壷があって超満員。
私がここに入れるように予約として壷だけ今から入れておかねば。と思うほど。
身を切るような寒さのなか、無事に小さなお骨が納まった。
3月にはダンナサマ家への納骨。4月には京都への納骨と続く。
魂はどこに宿るのか知らないが、おばさんの魂は生きているときも、亡くなってからも、きっと50年以上前に亡くなったダンナサマの隣にあるのだと思う。
古い写真をたくさんみながら、おばさんとダンナサマが若く輝いてかっこよかった頃を偲んだ。
若さも命も永遠ではないから、今を大切に凜として生きたい。
そう思った。