戦争について・・・ | 深夜のしゃべりたい欲を満たすひとりごと

深夜のしゃべりたい欲を満たすひとりごと

記憶力皆無の脳を助けるための日記

今日、「さとうきび畑」の再放送を見た。


これって去年放送してたのかな?


さんまがさとうきび畑にいる番宣は記憶してたけど、本編は見てなかった。


出かける前にちょっと見始めたら、いきなり泣いちゃって、録画してお出かけ。


帰ってきてから、ゆっくり見たんだけど、もう、やばいくらい泣いた。



ライフイズビューティフルみたいだね。


お父さんが明るさ、笑いでつらい戦争も切り抜けようとするんだけど、やっぱり戦争だから悲しいこともいっぱい避けられずに起こって・・・


誰も悪くないはずなのに。


自分の子供が「天皇のために立派に死にます」


って言ったら、やっぱり、お前を死なせるために産んだんじゃない。って思うだろうな。



私は、お国のため、家族のため、天皇のためと信じて勇敢に戦って亡くなった人たちの死に様というのは、二度と起こしてはいけないことではあるけれど、否定するのは失礼だという考え。


死ぬことなんかなかったのに。とか、生き延びようすればよかったのに。と思ってしまっては、信じる道のために死んでくれた兵士に申し訳ない。



民間人であろうが、兵士であろうが、人を殺せば人殺しだし、勝っても生き残っても、一生トラウマは残るだろうし・・・



私は、毎年夏になると神宮の花火大会にいっていて(小さいころね)、んで、そこに親戚が集うのね。


そんで、いざ花火が始まると、決まっておばあちゃん姉妹が「空襲を思い出すね」って話をはじめて、


死体をまたいで水を汲みに行った地獄絵図の話や、井戸を覗くを死体でいっぱいだったとか、


親戚が孤児になっちゃったとか・・・


戦後も食料がなくて、お腹いっぱいにごはんを食べる夢を毎日見たとか。



キレイな花火と戦争の話は、なぜかセットだったんだ。



今日、私は東京湾の花火をみてきて、それはたいそうキレイだったんだけど、この日に今はおばあちゃんが


してくれない戦争の話をテレビで自分から見たのは、なんかそんな習慣があるからかもしれない・・・



私は空襲を知らないのに、花火の音を聞くと、これが空襲のときの音だったんだ。って今でも思っちゃう。




今日のさとうきび畑の話や、ライフイズビューティフルを見ると、自分も戦争の最中にいたら、きっとこうやって周りを笑わせるんだろうな。と思う。



戦争中にとったさんま父さんの写真が、全部笑顔で・・・


もう・・・ 泣けるよ・・・



怒りや、妬みや、恨みや、欲望のために戦争は今も世界中で起こっている・・・


学んで活かすことが、人間に与えられた能力なのに、民族や地域、国という隔たりによって、なぜ悲しい不毛な戦争から学ぶことができないのか。


こんなに分け合えば豊かに暮らせる文化があるのに、人同士で殺し合いをするのか。しなければならないのか。



「テポドンが撃ち込まれても、戦争をしてはいけない。


それが日本国憲法だ」


とこの前会った親戚のおばさんが言っていて、


「なんで?撃たれたら、いや、撃たれる危険があるなら先に撃つでしょ!!」


って私は言ったんだけど・・・



「テポドンを撃たれても、核を撃たれても、無抵抗でいること」


でしか戦争は避けられないのか。



と敗戦国の国民である私は今日思った。



撃ち込むほうが悪いんだけど、撃ち帰したら一緒なんだよね。


1発で撃たれて死ぬ人も不幸だけど、それがきっかけで戦争になればもっと多くの命がなくなる・・・



テロされたからって、戦争起こしたから、もっともっとたくさんの人が今も死んでるんだもんね。



戦争をしないと宣言している国に生きているんだから、戦争をしない意味や、戦争をしない固い決意がどれほど根性のいることなのか。昔、特攻隊が男気を決めて攻め込んだことを、無駄にせずに今の平和を守るには、捨て身で戦う以上の覚悟をもって、無抵抗主義で戦争を拒否しなければいけないんだと、強く思った。



ほんとに、1年に何度かしか戦争について考えないし、ずっと考えは一緒だったけど、この戦争をしないためには撃たれても撃っちゃいけない。という気持ちになったのは初めてだなぁ。