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Can I meet you once again?

今、自分の胸に止まった出来事を書いていきます。
まだ未熟者なので、駄文だったり、気に障る内容をだしてしまうかもしれません。
申し訳ありません。





一つのものを、その気持ちから逃げられなくなるくらい好きになってしまうことがある。

小説とか漫画とか、ジャンルはどんなものでも良くて、とにかく自分の琴線に触れられてしまうものがある。

一度足を踏み入れてしまったら、二度と戻れなくなってしまう。

それは、とても良いことだと思ってる。











ただ、最近になって好きなものに引きずり込まれてしまうという感覚を経験した。

尊敬する人の好きなものは、ちゃんと知りもせずに苦手なままなのは失礼だから、話を聞いて、自分でも見てみて、好きになれそうならなろうと思っている。

何かを好きになることは、単純に心地が良いものだし、なにより嫌いになることよりも「正しい位置」にあると思うからだ。

ただ、引きずり込まれるとそれだけでは止まれない。

「自分の好きなもの」を「嫌いだ」と言われることに対して、ただならぬ嫌悪感を感じてしまうのだ。










それは、悪いことなんだろうか?

自分が好きであれば、他の人の言うことなんてどうだっていいじゃん、て考えてた時期もある。

好き嫌いは人それぞれだし、考え方も人それぞれだ。だから自分の気持ちを押し付けるのは良くない、とも思う。

でも、それでも、ちゃんと見て、聴いてくれれば好きになってもらえるんじゃないかって思ってしまう。

好きになって欲しいって思ってしまう。

どうすればいいのかわからないのは、もしかしたら、本当は何かを好きになったことがないってことなのかもしれない。

みんなの中の「にわか」の先に行ける気がしない。

だから辛いのか、と思った。









もう、小さい頃みたいにわかってもらえないという気持ちを外に出したりはしない。

納得しないまま話すのは、好きなものにも、嫌いって言った人にも失礼だ。

イライラをぶつけるより、うまく面白さを伝える努力をしたほうがよっぽど良いことだと、わかったから。









ただ、好きと嫌いの正しさが、考えてもわからない。
どこまで好きになれば好きって言って良いのか
好きすぎるものを、嫌いだって言う人の気持ちを理解するためにできることはなんなのか

わかる人、いたら教えてくださいm(_ _)m









わからないことをわかろうとすること。

わからないままが恥ずかしいことなのかはわからない。
でも、わかろうとする意思が大事なのはわかる。

要領が悪くても、自分にあったやり方でしかできないことがある。

所詮満足するためにしか生きれない。
なら、どこまでやるかは自分で決めて良いはずだから。