「精一杯頑張ってる」とか、自分で言ってしまうのは努力が足りない証拠だって誰かが言ってた。(昔の自分も言ってた。)
でも、友達に言われた。
「頑張るのは1人で出来るし、誰にでもできるけど、結果が出ないのに続けるのはなかなか根性がいるから難しいよ。
だから、頑張ってるって言っちゃう人には、「よく頑張ったね!もっと頑張れ!君ならできる」って言うべきなんだ。
それだけで救われるし、また頑張ろうって思える。
みんながみんな、強く、前向きでいられるわけじゃない。」
自分ができないことは誰かにやってもらえばいい、っていう理論はよくわからない。
できなかったらできるようになりたいって思うべきだ。
でも、できるようになりたいって思うのとできるようになるのは違う。
大事なのは、人によって得意不得意があるってことだ。
直そうって思ってから形になるまでにかかる時間は、それと人との関係によって変わってしまう。
思うだけじゃダメだけど、それでもしないよりはずっといい。
そこまでしてから、足りない部分を互いに補い合うのが人と人での支え合いだ。
「みんながみんな、強く、前向きでいられるわけじゃない。」
それは弱さじゃなくて、弱気になっちゃうってことなんだとおもう。
得意不得意は個人差があるから一辺倒に見るだけで決めつけちゃダメだ。
自分の欠点を見ないふりして、誰かの欠点を否定するのなんてダメだ。
自分の普通を押し付けるなんてダメだ。
認め合えばいい。慰め合うのではなく支えあえればいい。適材適所は、精一杯の上でしか成り立たないのだ。
コツコツと積み上げてきたものが何か良いものになればいいなとおもう。
頑張るとか一生懸命とかそういうのが形になればいいなとおもう。
できることとできるようになったことはそれで良いけど、できないことをやらないっていうのは違う。
諦めていいのは、限界を見極められた時だけだ。
だから、頑張ろうって言いたいし言われたい。そういう人たちの中に居たい。
ようするに今回は、[自分は弱い人間なんで、いつまでも、頑張ろうって言い合える人たちの中に居たい。]っていう弱音話でした。
回りくどさにだけ定評があります。すいません。もっといろんな書き方を勉強しますね!笑