2011/3/23 毎日新聞 余禄から
奪われた「春」
「シーズン初めに大会をするのはおかしい」。戦争で中断されていた選抜中等学校野球大会が戦後再開される時、占領軍で教育を担当する少佐はこう述べた。野球シーズンはこれからという春になぜ大会を?--といぶかったのだ
▲その交渉の通訳は「私も甲子園に何度か行きました。センバツが関西に春をもたらすのだと実感しています」という日本人女性だった。彼女はやんわり少佐に告げる。「やめさせると日本人に一生うらまれますわ」。開催は許された(相馬卓司著「センバツ物語」)
▲心浮き立つ春を野球の話題も、ふくらむ桜のつぼみも、野に咲くこぶしの花の白さも、少しも心を弾ませない。震災がむごたらしく奪い去ってしまった日本の「春」でる。
▲きょうから第83回選抜高校野球大会が開幕する。未曾有の震災下の開催に是非には論議があったのはいうまでもない。だが被害の大きかった宮城県の東北高校をはじめ被災地の出場校も全校参加できることになり、被災地への応援を大会の柱にすえての開催となった
▲あの11日からまるで時間が凍りついてしまった被災地と、その苦難を分かち合おうとする列島住民だ。各地から集まる32代表はその連帯の何よりの証である。甲子園という他のどこにもない場所に集う高校球児でなければできぬ被災地への励ましは必ずあるはずだ
▲奪われた春もいつかはこの列島に呼び戻さなければならない。少年たちのひたむきなプレーが、凍りついた時間を再び未来へと刻み直せたらどんないいいだろう。
>野球大好きマエシーはもれることなく高校野球も大好き!
プロ野球では開幕の時期でもめてはいるが、商業野球とは全く違う趣旨の高校野球。
同じ野球なんだけどなぜか見方、感じ方が全然違う。なんでなんだろう?どうしてでなんだろう???
同じ野球なんだけど・・・
とはいえ高校野球は開催にこぎつけた。この震災の中、被災地の高校も参加して開催された。
すごく意味のあることだと思う。
甲子園での高校野球には何か「神聖なモノ」が感じられる。感じ取ろうとして逆に心を奪われているのかもしれない。
商業野球ではなく「神聖なる高校野球」が呼び戻すものは「春」だけでない。
助け合う、協力しあう、一体となる「感動」
自分の命を顧みず苦難に立ち向かう「勇気」
必ず復興するという未来への「希望」
いや、もっともっと大きな大切なモノを僕たちに見せてくれるかもしれない。
皆、頑張ろう!!