3男のリハビリ病院で、
9年ぶりに、60代の姉妹に会いました。
私から声をかけました。
私を思い出された後も、話を続けていたので、
私、断絶組ですよ、と言いました。
以前なら、断絶したんですが…と、真面目に
伝えていましたが、
断絶組ですよ、と明るく言えた自分が、
おもしろかったです。
子育て大変でしょう、今アニメで色々見られるのよと、カレブくんの絵のある
JW.orgの、名刺サイズのカードを渡そうとされたので、いらないです、と断りました。
真剣に捉えて、追い詰められる子どももいるから、アニメだからといって見せたくはないと言いました。
3男の病気のことも色々聞かれました。
でも、深いところでの共感は得られないなと
しっかり現役の姉妹との会話で感じて、
話を終えました。
いろいろ思い出しました。
3男は、生後数ヶ月で輸血もしているし、
3男の手術前、なにを祈ったかと言えば、
奇跡的に助かることではなく
(じゃあ、助からなかった子は?という疑問も起きるし、3男の生命力を尊重したかったというのもあったし)
執刀する医師の、体調が万全であるようにとか。
現実、関わる人達が、ベストを尽くせるようにとか。それでももし、多くの人の祈りがわずかでも
作用する事があるのならと、当時コメントしていたブログに、祈って欲しいと書き込もうかと迷ってもいました。でもしませんでした。
(息継ぎ)
あと、姉妹からのカードを断ったことで、似てるな、と思い出したのは、
2男について、適応指導教室(不登校児のための)
の先生に言われたことで、
教師もお父さんも、学校に戻れるように励ましている中、
お母さんだけが、適応指導教室でも良いと言っているのは良くないのではないか、と言われた時、
はっきりと、いや、逃げ道は作っておいてあげたいです、と言えたこと。
大人がみんな同じ意見だったら、それしか選択肢なくなっちゃうじゃないですか、と。
(励まして、気にかけてあげて行けていた時期もあったけど、それでも行きたくないといってくれているならもう良いじゃないか。楽しく適応指導教室に通っているのが、すごいじゃないか。)
自分を褒めるとか、
出来たことを書き留めるとか、
あまりピンとこなくて。
それで、(同じことなんだけれど)
ものすごく自分を、労うようにしたら
効いてる気がします…。
あんな泥沼の朝からシャワーを浴びれて
凄いじゃないか。休もうと思っていたのに
リハビリいけて、もうそれだけで1日終えていいよ。選択できた、すごい。コーヒーで乾杯だ。
市役所で滝汗で住民票取ってきた、すごすぎる。
みたいな感じです。
一つ一つ労うと自分は良い気がします。