吉八(よしはち)と俺は呼ぶ | 日々是非可換   -非可換な私の雑記ー

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今日あったこと、昔の出来事、未来への思い、考えたこと、考えなかったこと、手慰み、記録、思いつき、思い出。非可換な私が送る非可換な日々を書き記します。公開しているけれど公開が目的ではありません。後悔はします、多分。

 下関市の吉永八幡宮はなんだか素朴な味わいのある神社だ。「よしながはちまんぐう」は長いので、心のなかでは「よしはち」と呼んでいる。
 ここのウリは吉運らしい。吉運なくして成就なし、などとそれっぽい言葉が書いてある。あ、はい、という感じ。ときどき立ち寄ってお賽銭をあげているが、吉運はこれからやって来るのだろう。
 桜が咲いてよい雰囲気だったので、ご利益なんかなくてもまあいいかと思ってる。