国に歌が必要な理由 | 日々是非可換   -非可換な私の雑記ー

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今日あったこと、昔の出来事、未来への思い、考えたこと、考えなかったこと、手慰み、記録、思いつき、思い出。非可換な私が送る非可換な日々を書き記します。公開しているけれど公開が目的ではありません。後悔はします、多分。

社歌なるものがあるそうだ。その名のとおり、会社の歌だろうけど、一体いつどんな目的で歌うのだろう。飲み会の終わりにみんなで肩を組んで歌ったりするのだろうか。毎朝、朝礼の後に歌わされるのだろうか。新人研修のときに駅の前で大声で歌わされるのだろうか。社員への嫌がらせのための歌なのだろうか。私が行ってた会社にはなかったと思うけど、大企業にはあったりするのかな。


小学校中学校高校にも校歌がある。行事があるたびに歌わされたが、あれは一体なんの目的なんだろう。目的なんかなくて、なんとなくそういうものだと思わされてるんじゃないかと考えている。高校野球では甲子園で勝ったチームが歌うみたいだけど、別に校歌を歌う必然性もない気がする。


国には歌が必要なのだろうか。オリンピックなどの大きな大会で、国の歌を流すのは誰が考えて始めたことなのか。それとも人類には所属団体の歌を作って歌いたくなる本能が備わっているのだろうか。そうは思えないが。


オリンピックやワールドカップみたいな大会がなかったら、国の歌を歌う機会なんてなくなるような気がする。そうなったときに、なにか問題が起こるのだろうか。所属団体の歌を歌いたい症候群とかが発生するのか。


国連で国家には歌が必要と決まっていたりするのかな。ひょっとしたら国連で国の旗も決めないといけないことになっているのか。国の花が決まっている国はどれくらいあるだろう。国の鳥が定められている国はどうか。国の動物、国の酒、国の料理、国のマンガはどうか。


国に歌が必要不可欠だとして、それが突然失われたら何がおこるのか。そんなことを考えて、不毛でやめた。