「UTADAの『EXODUS』が米国でそんなに売れなかった」理由は至極単純で、
「売らなかったから」
これだけである。こんな自明な理由があるのにあーだこーだとよくわからない理屈を聞かされ続けて20年余り。やってられんわ。
そこのところの事情は『This Is The One』をリリースした2009年(つまり『EXODUS』か約5年後だわね)にUTADA自身が語ってくれているので引用しよう。
『e.I felt so insecure during the recording and promotion of Exodus, because it didn’t seem like anyone knew what I wanted to do, and I didn’t know how to get it across to these people. We were not on the same page at all, and now it seems we are.』
『エキソドスのときはレコーディングもプロモも不安だらけだったんだ。私が何をしたいのか知っててくれる人も見当たらない、私もみんなにどう接したらいいのかわからない、そういう状態だった。その頃はそうやってみんな歩調がバラバラだったけど、今(※2009年)の私たちは足並みが揃ってるよ。』
ヒカルならではの優しい言い方になっているけれど、要はアメリカのレーベルの誰もUTADAのプロモーションをやる気がなかったのだ。それは、当時ネットて流れてくる英文記事を翻訳し続けていた私にはよくわかる。「なんか日本で凄かった子が米国でもデビューするらしいよ」という好奇の目で取り上げる記事ばかりで、「この子はこんなところが凄いんだ!聴いてくれ!」みたいな記事はひとつもなかった。やる気あんのかお前ら?と思いながら定型分の繰り返しだらけの記事を翻訳し続けた当時の私偉い。読まされる方は堪ったもんじゃなかっただろうな皆さんごめんなさいでした。それはさておき。
http://ishadow.nobody.jp/
↑このサイトを読めば、どんな記事が新聞雑誌に載っていたかよくわかる。ああいや、既に知っている人、私の言う事をありがたくもよくわかってくれる人なら読む必要は全く無い。
プロモーションのやる気のなさを如実に語っていたのが、当時ほぼ全く『EXODUS』関連のラジオ・オンエア情報が流れてこなかった点だ。2004年頃は英語でUTADA HIKARUを応援する海外のサイトが、代表的なものだけでも2、3あったのだが、そこのフォーラムを読んでもそんな情報はついぞほぼ出てこなかった。最終的には『Come Back To Me』が1週間で一千回のオンエアを獲得していた2009年とは対照的であった。
考えてもみて欲しい。例えば「今度ナウル共和国でNo. 1の子が日本でデビューする」という新聞記事をあなたが読んだとして、「ふ〜ん、そうなんだ」と思ってからどこからもその子の歌が流れてこなかったとしたら? そんなん忘れ去られるに決まってる。記事を読んで興味を持った人が、ふとラジオをつけたらその子の歌を聴く事が出来て、そこで初めて「あぁこれがあのときの記事の子かぁ」ってなって歌を覚えて貰えるのだ。それがプロモーションであり、曲とアーティストが売れていく道筋なのである。『EXODUS』の時のUTADAにはそれが用意されていなかった。有名紙に好奇的な記事が載ってそれっきりだったのだ。
ここらへん、もしかしたら宇多田ヒカルのヒットも勘違いされてるのかもしれないなと想像する。デビューシングル『Automatic / time will tell』が最終的にダブルミリオンまで登り詰められたのは、全国のラジオ局がこぞってオンエアして日本全国ヘビロテ状態になっていたからだが、そこに行き着くまでには梶望A&Rの地道なプロモーション活動があったのだ。勿論、「『Automatic』は冬だ。」と看破して宣伝戦略を練った三宅彰プロデューサーの慧眼や、そもそもあそこまでのクォリティの音楽に仕上げた沖田英宣ディレクターの手腕も大変重要だったのだが、梶さんが半年かけて全国のラジオ局とレコード会社を周りまくって名前と曲の認知度を上げ続けたのが、宇多田ヒカルがデビュー時から売れまくった直接的な原因なのである。なぜかそこらへんの話はネットに落ちてないんだけど、梶さんの講演や講義を聞いたことのある人ならその辺りのニュアンスはご存知だろう。「宇多田ヒカルを売る!」というどストレートな情熱を彼が持ち続けてくれたからこそ、宇多田ヒカルは売れたのだ。幾ら内容が良くっても、聴いてもらわなければ話が始まらないのだから。如何に宇多田ヒカルであっても、それが日本市場であっても、三宅沖田梶御三方が揃って情熱を傾けてくれなかったのなら、恐らく『EXODUS』と変わりのない状況になっていただろう。まぁCubic U状態だよね。そうなのだ、まともなプロモーションして貰えなかったUTADAの『EXODUS』は、そもそも聴いてもらえなかった。だからそんなにたくさんは売れなかった。そう断言して構わないと思われる。
そう言い切りたくなるのは、もう何度も繰り返し言及してきてる通り、2009年の『This Is The One』発売時にUTADA本人がアメリカ中を回ってプロモーションをしたらちゃんとラジオのオンエアを稼げたという現実の反例が存在するからだ。「『EXODUS』の楽曲群は多彩過ぎてどのジャンルのラジオ局にプロモーションすればいいのかわからなかったのでは?」という恐らく正しい指摘もずっと目にしてきた(し自分も20年以上その点については肯定的に言及し続けている)のだけど、例えばプロモーションを『Let Me Give You My Love』一本に絞れったりすれば2004年当時のリズミック・チャートでも十分オンエア候補に上がっただろう。現実には、『Devil Inside』のリミックスをリリースしてリミキサーの知名度で細かいチャートの一位を獲得した結果、オリジナルの『Devil Inside』の素晴らしさが微塵も伝播していかなかったなんていう少々的外れなプロモーションを展開する程度だった。そうそう、流石に全然全く仕事をしてなかったわけではないんですよ2004年のアイランド・レーベルも。やる気がなかっただけでね。
なぜやる気がなかったかというと、そう、リオ・コーエンが居なくなってたからだわよね…っていう皆もよく知ってる話からまた次回。