「UTADAの『EXODUS』が米国でそんなに売れなかった」理由は至極単純で、


「売らなかったから」


これだけである。こんな自明な理由があるのにあーだこーだとよくわからない理屈を聞かされ続けて20年余り。やってられんわ。


そこのところの事情は『This Is The One』をリリースした2009年(つまり『EXODUS』か約5年後だわね)にUTADA自身が語ってくれているので引用しよう。



『e.I felt so insecure during the recording and promotion of Exodus, because it didn’t seem like anyone knew what I wanted to do, and I didn’t know how to get it across to these people. We were not on the same page at all, and now it seems we are.』

『エキソドスのときはレコーディングもプロモも不安だらけだったんだ。私が何をしたいのか知っててくれる人も見当たらない、私もみんなにどう接したらいいのかわからない、そういう状態だった。その頃はそうやってみんな歩調がバラバラだったけど、今(※2009年)の私たちは足並みが揃ってるよ。』


ヒカルならではの優しい言い方になっているけれど、要はアメリカのレーベルの誰もUTADAのプロモーションをやる気がなかったのだ。それは、当時ネットて流れてくる英文記事を翻訳し続けていた私にはよくわかる。「なんか日本で凄かった子が米国でもデビューするらしいよ」という好奇の目で取り上げる記事ばかりで、「この子はこんなところが凄いんだ!聴いてくれ!」みたいな記事はひとつもなかった。やる気あんのかお前ら?と思いながら定型分の繰り返しだらけの記事を翻訳し続けた当時の私偉い。読まされる方は堪ったもんじゃなかっただろうな皆さんごめんなさいでした。それはさておき。


http://ishadow.nobody.jp/


↑このサイトを読めば、どんな記事が新聞雑誌に載っていたかよくわかる。ああいや、既に知っている人、私の言う事をありがたくもよくわかってくれる人なら読む必要は全く無い。


プロモーションのやる気のなさを如実に語っていたのが、当時ほぼ全く『EXODUS』関連のラジオ・オンエア情報が流れてこなかった点だ。2004年頃は英語でUTADA HIKARUを応援する海外のサイトが、代表的なものだけでも2、3あったのだが、そこのフォーラムを読んでもそんな情報はついぞほぼ出てこなかった。最終的には『Come Back To Me』が1週間で一千回のオンエアを獲得していた2009年とは対照的であった。


考えてもみて欲しい。例えば「今度ナウル共和国でNo. 1の子が日本でデビューする」という新聞記事をあなたが読んだとして、「ふ〜ん、そうなんだ」と思ってからどこからもその子の歌が流れてこなかったとしたら? そんなん忘れ去られるに決まってる。記事を読んで興味を持った人が、ふとラジオをつけたらその子の歌を聴く事が出来て、そこで初めて「あぁこれがあのときの記事の子かぁ」ってなって歌を覚えて貰えるのだ。それがプロモーションであり、曲とアーティストが売れていく道筋なのである。『EXODUS』の時のUTADAにはそれが用意されていなかった。有名紙に好奇的な記事が載ってそれっきりだったのだ。



ここらへん、もしかしたら宇多田ヒカルのヒットも勘違いされてるのかもしれないなと想像する。デビューシングル『Automatic / time will tell』が最終的にダブルミリオンまで登り詰められたのは、全国のラジオ局がこぞってオンエアして日本全国ヘビロテ状態になっていたからだが、そこに行き着くまでには梶望A&Rの地道なプロモーション活動があったのだ。勿論、「『Automatic』は冬だ。」と看破して宣伝戦略を練った三宅彰プロデューサーの慧眼や、そもそもあそこまでのクォリティの音楽に仕上げた沖田英宣ディレクターの手腕も大変重要だったのだが、梶さんが半年かけて全国のラジオ局とレコード会社を周りまくって名前と曲の認知度を上げ続けたのが、宇多田ヒカルがデビュー時から売れまくった直接的な原因なのである。なぜかそこらへんの話はネットに落ちてないんだけど、梶さんの講演や講義を聞いたことのある人ならその辺りのニュアンスはご存知だろう。「宇多田ヒカルを売る!」というどストレートな情熱を彼が持ち続けてくれたからこそ、宇多田ヒカルは売れたのだ。幾ら内容が良くっても、聴いてもらわなければ話が始まらないのだから。如何に宇多田ヒカルであっても、それが日本市場であっても、三宅沖田梶御三方が揃って情熱を傾けてくれなかったのなら、恐らく『EXODUS』と変わりのない状況になっていただろう。まぁCubic U状態だよね。そうなのだ、まともなプロモーションして貰えなかったUTADAの『EXODUS』は、そもそも聴いてもらえなかった。だからそんなにたくさんは売れなかった。そう断言して構わないと思われる。


そう言い切りたくなるのは、もう何度も繰り返し言及してきてる通り、2009年の『This Is The One』発売時にUTADA本人がアメリカ中を回ってプロモーションをしたらちゃんとラジオのオンエアを稼げたという現実の反例が存在するからだ。「『EXODUS』の楽曲群は多彩過ぎてどのジャンルのラジオ局にプロモーションすればいいのかわからなかったのでは?」という恐らく正しい指摘もずっと目にしてきた(し自分も20年以上その点については肯定的に言及し続けている)のだけど、例えばプロモーションを『Let Me Give You My Love』一本に絞れったりすれば2004年当時のリズミック・チャートでも十分オンエア候補に上がっただろう。現実には、『Devil Inside』のリミックスをリリースしてリミキサーの知名度で細かいチャートの一位を獲得した結果、オリジナルの『Devil Inside』の素晴らしさが微塵も伝播していかなかったなんていう少々的外れなプロモーションを展開する程度だった。そうそう、流石に全然全く仕事をしてなかったわけではないんですよ2004年のアイランド・レーベルも。やる気がなかっただけでね。


なぜやる気がなかったかというと、そう、リオ・コーエンが居なくなってたからだわよね…っていう皆もよく知ってる話からまた次回。


やや図式的にUTADAの商業的成果を箇条書きにすると、


・『EXODUS』は日本でバカ売れしたが、米国ではふるわなかった。

・『This Is The One』は日本でイマイチだったが、米国では順当に売れた。


この2点に集約する。のだが、これを分解した4つ、


①『EXODUS』は日本でバカ売れした

②『EXODUS』は米国でふるわなかった

③『This Is The One』は日本でイマイチ

④『This Is The One』は米国で順当に売れた


のうち、やたら②だけ強調されるので始末が悪いのだ。普通、誰かの成果を語る時には結果の中でも最良のものを取り上げるものだ。宇多田ヒカルを語る時にはまずアルバム『First Love』の売上記録から入るのが定番であり、わざわざ「『ULTRA BLUE』はミリオンに届かなかった」から入る人はそうは居まい。居たら相当偏った見方だなという感想を持たれるだろうけど、UTADAの場合はそれが常態化している。ネガティヴ・キャンペーンも甚だしい。なので「④から入れよこの話題は!」っていうのが私がずっと書いてきてる事ですね。


ネガられる理由はハッキリしていて、前回書いた通り、日本語圏では米国市場のサイズ感が伝わっていないこと。それに加えて、最初の全米進出についての記者会見がやたら派手だったのが印象に残ってる人が多かったというのもあるのだろう。


ちょうどフクさん@fu9ma が昔の記事を発掘してきてくれたので抜粋・引用してみる。


「契約は枚数契約。契約金ではなく、アルバム1枚当たりの制作費で決めたといい、「マライア・キャリーと同等? なのかなぁと思います。複数億円です。四捨五入するには際どい数字」と話したところから、推定5億円とみられる。」

https://x.com/fu9ma/status/2022330015317430777?s=46


こんな風に記事を書かれ、ワイドショーなどでも取り上げられた事から、「マライア・キャリー並の成功を期待されている」と受け取る視聴者が多かったのだろうと推測される。その期待を受けてからの全米初登場160位だったので、「コケた」とか何とか言われてしまうのだろう。なお実際は5億円も使ってないだろう事は容易に推測できる。ティンバランスを迎えるまでエンジニアとアシスタントに照實さんとヒカルさんのたった4人で制作を続けていたというのだから(ジョン・セオドアも来たけど一曲叩いただけだからね、1日で終わった可能性も十分にある)。この煽りマジで要らんかったなと当時も痛感した次第。


その「報道での煽りとの落差」がネガられる原因なのだが、そこから「UTADAが米国でウケなかった原因」をやたら探られるようになって…という話からまた次回かな。


UTADAの評価が(少なくとも日本語圏では)やたら不正確なのは、単純に言えば宇多田ヒカル名義の最初の4枚のアルバムが日本で売れ過ぎて感覚が麻痺してるってのが大きい。それがそのままアメリカ市場にも当て嵌まると思った人の多かった事といったらなかったわね。


2009年の『This Is The One』はデジタルで2ヶ月先行で発売され、その際iTunesUSA即ち米国の配信チャートの総合18位とポップ・チャート2位を記録している。まぁウィークリーとかじゃなく瞬間風速(まぁほぼデイリー)なんだけど。また、既にそのデジタルアルバムが行き渡った後にリリースされたフィジカル(CDだね)がビルボードTop200の69位を記録してるのだけど(『Dirty Desire』をフィーチャーした作品としてはお誂え向きの順位ですわね)、これの偉業ぶりが全く伝わらなかった。当時各記事に「(日本のハードロックバンド)ラウドネスが1986年に記録した64位以来23年ぶりの好成績」って書いてあるのに「宇多田ヒカルなら史上初の記録とかでないと」と思われてるのか、全く正当に評価されなかった。


ラウドネスって欧米のハードロックファンの間では凄く有名なんですよ。日本国内よりずっと。40歳以上のハードロックギタリストで高崎晃の名前を知らないのは少数派なんじゃないかなってくらいにはね。この、ビルボードの順位の価値ってのがなかなか伝わらんのよなぁ。アクセプトの「ボールズ・トゥ・ザ・ウォール」が74位で、アンスラックスの「アマング・ザ・リビング」が62位とか、そういうレベルなんだけど…ってこんな40年前の固有名詞並べてもしゃーないか。どちらもメタルフェスのヘッドライナーを務められる大御所たちなんですけど、まぁ読み飛ばしてくださいな。


裏を返せば、69位程度のアルバムでも、宇多田ヒカルYouTube再生回数トップ10付近の楽曲を輩出できるくらいにマーケットがデカい、考えてくれればいい。まぁそりゃそうなんですよね、全米チャートの上の方の曲って今のYouTubeじゃ瞬時に億、今じゃ数十億回も珍しくない。それこそ、ヒカルさんとデュエットしてるサム・スミスやチャーリー・プースは30億回とかいうレベルの曲ありますからね。『Come Back To Me』の100倍とかですよ。うひゃあ。


そんなでっかいマーケットを相手に、ほぼ徒手空拳で挑んだのがUTADAだったというのが全然伝わってないのがまぁ歯痒いんだけど、ええっと今週このまま「UTADAについての恨み節」で突っ切りそうですね無意識日記。…誰も止めなかったらこのまま行くからね?(笑)


前回の話を引き継ぐと、つまり2017年まではUTUBEが宇多田ヒカルのサブスクの役割を果たしていたということだ。曲フルコーラス聴き放題ってことでね。なので、2015年に日本でもサブスクが本格スタートした中で、珍しく最初に宇多田ヒカルがそういった新しいデジタルサービスに参画しなかったのも、UTUBEが既にあったからというのもあったのだろうかな。つまり、トラベやキャンシーのようなYouTubeローンチ以前からある名曲も、サブスクで接する感覚でYouTubeに於いて再生されてきたのかなという事だね。


それに加えてもう一つ論点がある。YouTube全体自体のユーザー数の爆増な。YouTubeは2005年から本格稼働しているが、やはりスマートフォン普及で利用者が激増し、更にスマートテレビの普及でもう一段階増えた。今と10年前、10年前と20年前ではそもそも分母の数が違い過ぎる。『Come Back To me』は2009年にアップロードされたので、2015年よりずっと利用者数は少ないし、2026年の今とはもっと比較にならない。その中で通算の再生回数の多少を比べるといっても無理があるのよね。


ついでに書いとくと、今在るUTADA VEVOの『Come Back To Me』PVのアップロード日は2009年10月。同曲の音源解禁は同年1月なので、PVアップロード時点での「初動バースト」は皆無だったと思って貰って差し支えない。もう新曲扱いではなかった時期だからね。普通はPV解禁時にロケットスタートを切るものだが、ここにはその“再生回数ボーナス”はほぼ含まれてないと考えていいってことで。



……と、色々言ってるんだけど、ちゃんと記録を残してない私が悪いんですが、『Come Back To Me』って2010年にUTUBEが生まれてから少なくとも10年以上、宇多田ヒカル関連動画再生回数でずっと10位近辺に居たのよね。前の無意識日記の目次に「宇多田ヒカルYouTube動画再生回数順検索」の直リンが張ってあったから、ワンクリックで毎日でも確認できたので私は知ってる子だけど、確認出来過ぎてそれを記録するって頭がなかったのがまずかった。記録しときゃよかったな。


だから実はアップロード日が5年違うとか、YouTubeがサブスク化してたとか、全体の利用者数の変化とか新曲旧曲の扱いの差とか殆ど考慮に入れなくていい。というのも、再生回数が数千万回クラスになってくるとそういう誤差は一年二年経てば均されちゃってわからなくなるから。曲ごとの人気ってかなりハッキリと別れてて、少々の揺らぎなんか全部吸収して例えばいつのまにか結局『First Love』が一位になってるのよね。これはYouTubeに限ったことではないけどな。


流石に、ここ数年は『One Last Kiss』やら『君に夢中』といった強力なナンバーが立て続けにリリースされた影響で『Come Back To Me』はトップ10からやや後退してるけれども、その人気自体は相変わらずだ。つまり今でも毎年何十万何百万回再生されてるってこったね。名だたる宇多田ヒカル名義の名曲群の中でもトップ10に入るって相当凄い曲なんだけど、日本のファンは全然そこのところを認知していない。それは何故かという昔話からまた次回、かな?




追伸。実は『Come Back To Me』の音源が、洋楽扱いのUTADA VEVOではなく、宇多田ヒカル公式YouTubeチャンネルの方にアップロードされている。


https://youtu.be/ZMGQJ4St7-c


2018年11月アップで再生回数56万回か。これ、そもそも普通に検索しても気づかれないだけかもしれないな。


あぁ、前回のタイトルにあった『UTUBE』ってのは『Goodbye Happiness』PVのラストに出てくるYouTubeのパロディね。昔から私これを「宇多田ヒカル公式YouTubeチャンネル」の略称として勝手に使ってますねん。5文字で済むので。それはさておき。



で。「再生回数をカウントするスタート地点が5年もズレてたらフェアに比較できないのでは?」という疑問は全く以ってその通り。まぁじゃあ『Come Back To Me』の再生回数16年分約3300万回から5年分引いて2300万回にしたとしたら、今度は大体どれくらいになるかというと、


・2002年年間第10位『光』が2216万回

・2002年年間第6位の『SAKURAドロップス』が2060万回


で、大体この辺りより多いという事になる。ぶっちゃけ、これでも『Come Back To Me』の再生回数はかなり大きい数字だと評価してよい気がするんだがまぁそこは各々の主観に委ねようか。



上記で「5年分引く」って時に暗黙に仮定したのは16年間なり11年間なりで「毎年同じ回数だけ再生される」という命題。まぁつまり、3354万回なら16年間毎年約200万回ずつ再生されてると仮定してるわけだが、これが本当かどうかはわからないね。


そう、再生回数ってその年次ごとの推移を見ないとちゃんと評価できないのよさ。これが「難しい」ポイントのまず一つ。


ここで、「宇多田ヒカルの公式YouTubeチャンネル」の持っていた「特異性」について触れておかないといけない。


今はごくごく普通の?アーティストチャンネルなんだけど、2010年に開設した時は本当に度肝を抜かれたのよ。その頃は、「出したシングル曲のプロモーション・ビデオをほぼ全てYouTubeにアップロードしている」アーティストって、殆ど居なかったのね。それをいきなりトップ・アーティストの宇多田ヒカルが敢行したもんだからそりゃあビックリでしたよ。


つまり、宇多田ヒカルが2017年末にサブスクを解禁するまで、ネットで「宇多田ヒカルの曲を聴き放題」なのは公式YouTubeチャンネルがメインだったので。つまり、当時宇多田ヒカルのCDを持ってない人は、YouTubeにアクセスして往年のヒット曲を聴いていたのだ。いや勿論、PVの映像も観れるのだけど、手軽に無料でとなるとYouTubeだったわけです。その話からまた次回かな。


金曜日の私の呟きから抜粋。


「UTADAの『Come Back To Me』はYouTubeの再生回数が3354万回で、これは2001年年間第1位の『Can You Keep A Secret?』(3154万回)と2002年年間第3位の『traveling』(3738万回)の間くらい」

https://x.com/i_k5/status/2022148741407588352?s=46


これを読んで「そうなんだ」と思えた方はOK。それで何の問題もない。他方、以下の疑問を抱く方もいらっしゃるだろう。


「YouTubeの再生回数ってそんなに単純に比較していいもんなの?」


と。先に答えを書いておくと、


「凄く雑にはそれでいい。

 真面目に考え始めると結構難しいので。」


となる。てことで、以下はその「結構難しい」の部分の話。何回かに分けてになるかもなので、「雑にだったら単純比較していい」という結論で既に納得できる方はここから数回は読まなくても大丈夫ッス!



で。まず最初に指摘してくべきなのは、上記3曲ではYouTube上での配信開始日が大きく異なる点である。


『Come Back To Me』:2009年10月6日

『Can You Keep A Secret?』:2015年2月5日

『traveling』:2015年2月5日


と、『Come Back To Me』の方が約5年半も先にアップロードされているのだ。つまり、全体でいうと1.5倍の期間の再生回数になる。再生回数の合計は減ることがないのだから、期間が長ければ長いほど沢山回数が積み増される。確かにこれで再生回数を単純比較するのは無理がある。


なお、本来『Can You Keep A Secret?』と『traveling』のPV動画は、YouTubeにおいては最初2010年8月にアップロードされていたのだが、上記の通り2015年2月にアップロードされ直していて、この時再生回数が一旦リセットされている筈なのだが該当する記述が見当たらない為詳細は不明。ただ当時スタッフアカウントで


「モバイル端末で視聴ができない状態だった宇多田ヒカルのYouTube動画の視聴を再開しました KJ :」

https://x.com/hikki_staff/status/564720072652906497?s=46


という2015年2月9日付けのツイートがあったので、これに対応して総ての動画をアップロードし直したのかもしれない、という一定の推測は存在する。


ただ、これも確定ではない。というのも、2010年11月に一回アクシデントでほぼ全ての(くまちゃんを除く)動画が削除された騒ぎがあって動画をアップロードし直した際には、再生回数がリセットされていなかったからだ。


「いま原因調査および復旧作業中です KJ RT @askyn: @hikki_staff あの、you tubeのhikkiの動画がすべて消えてるんだけど。。。。「Media Interactive Inc. さんによる著作権侵害の申し立てにより削除されました。」って出」

https://x.com/hikki_staff/status/4846058588872704?s=46


『原因判明。EMIがいつも動画の削除を依頼してる業者が、間違って全部削除しちゃったんだって・・・あ、ありえない、こんなことってあるのか ダサすぎて涙が(´;ω;`)ブワ』


『ほんとだww「くまちゃん会社訪問」の動画だけ残ってるwww YouTube史上最もほのぼのとしたオフィシャルチャンネルなんじゃないか…w はっ!まさかMedia Interactiveさんの狙いはこれだったのか…! RT @halrop: なぜクマだけのこったのか(´・ω・`)』


https://twilog.togetter.com/utadahikaru/date-101117?tweets_order=asc



なので、まぁ結局の所再生回数リセットの理由は定かではないのだけれど、


「宇多田ヒカル公式YouTubeの再生回数はチャンネルが開始された2010年8月からの通算の数字ではない。」


という事実は間違いないので、それを踏まえた上でまた次回。


落とし物を見つける理由が「下を向く癖がついたから」って、切なかったな。でもそれを柔らかく話してくれてるのをみて頼もしくも思ったり。


いろいろあんだよねヒカルさんも。フラッシュやライトに対する恐怖症でステージに上がれなくなるかもってなってたりさ。『Hikaru Utada Live Sessions from Air Studios 2022』の直前には声が出なくなったりね。『Beautiful World (Da Capo Version)』のヴォーカルも、本人随分悩んだみたいだし。あれはあれで素敵だと私も(多分他にもたくさんの人が)思ってると思うんだけど、ヒカルが思い悩んだって事実は変わらん。


それこそ『Beautiful World』が世に出た時、エヴァファンの熱心さを見越して私は


「ヒカルは叩かれない曲を書いたのではなく、叩かれても怖くない曲を書いたのだ。」

https://unconsciousnessdiary.hatenablog.com/entry/ed524cf5f103d000a844fc3e2a8054b2


って書いたんだけど、ヒカルさんはきっと僕らに見せない所では未だにビクビクしてるんだと思うのよ。「しっかりしなきゃ」と決意してしっかりしてるだけで。だからダヌくんを前にして慌てふためくヒカルママに対して彼が「大丈夫だよママ」って優しく言ってくれるというエピソードはかなり涙腺に来た(泣いてないぞ?泣いてないぞ??)。なんなんだろうね、これ、裏を返せば(いや返すまでもなく?)、“息子の前で安心して慌ててる”ってことでもあるような? ヒカルが小さい頃、圭子ママ(いや本当は純子ママですが)に対して男の子の気持ちで守ってあげなきゃと思ってたって話はどこでしてたっけな? ノンバイナリの萌芽というか顕現というかそういうのをここに見出すのも違う気がしなくもないのだけど、なんだか親子だなぁとしみじみ思ったのでありました。このエピソードを引き出した黒柳徹子大変ぐっちょぶでありますっ!


4時間SPの最後に「最初は緊張してたけどソファにも馴染んで」ってなことをヒカルさん言ってたわね。それだけ徹子さんが心を解きほぐしてくれたってことでもあり。若い頃の感動的ですらあったマシンガントークな話術が喪われても、人生の厚みと人徳で人の心を引き出す話術があるのなら、まだまだ徹子の部屋は続いていくよな。そのうちただ座ってる徹子さん相手にゲストが独白するだけの番組になってたりして。それでも新しい言葉を引き出せそうな神通力が黒柳徹子には宿ってる気がするなぁ。


、、、って、しまった、気がつけばまたトットちゃん絶賛モードになってるっ。それで日記一編ボツにしてるのにまだ懲りないのかあたしゃ。いやもうさ、加山雄三やタモリや小沢昭一みたいに、宇多田ヒカルを「年一回の恒例ゲスト」に呼んでくれませんかね「徹子の部屋」に?? そう願いたくなるくらい、今回の出演は得難いものでした。もし表に出る仕事に就いたりしたら、ダヌくんと一緒に出る未来もあるかもね。…ってまたまた何言ってんの俺(笑)。


ほう、今日は2月13日の金曜日か。昨年亡くなったオジー・オズボーンが在籍していたブラック・ザバスのデビュー日が1970年2月13日の金曜日でね…ってその話はいいか。



昨夜は「徹子の部屋50年記念SP」未公開部分放送日ということで期待してリアタイしたのだけれど、いやはや眼福でしたな。あんなに長くフィーチャーしてくれるとは。4時間SP本編でも最恵待遇だったけど今回も完全に主役だったね。


今回も、といってもその4時間SPの方は「宇多田ヒカルが黒柳徹子と一緒に藤圭子を愛でる会」と化していたので、寧ろ昨夜の方がヒカル自身の話を沢山聞けて、本来の徹子の部屋らしい内容になっていたといえる。なので本編と未公開部分というよりは、前編・後編と言っていいボリュームになっていた。


しかも中身が濃い。この10年で音楽誌記者の皆さんも聞き出してない事柄が幾つも出てきた。冒頭から「ロンドンに移住した経緯」について語ってくれたが、「ワーキングホリデーで渡ったが長居する気はなかった」という内容は完全に初出である。そういう推理をはたらかせていたファンは居たとしてもね。そこらへん、特にロンドンは伝統的にポップ・ミュージックのトレンドセッターのひとつなだけに、音楽的な理由があって予め計画していたのかとも思っていたが、そうじゃなかったんだね。宇多田ヒカル音楽創造の過程を推し量る為にも結構重要な論点だった。


こういう「本質的な新情報」を今回ヒカルがあっさり喋ってくれたのも、黒柳徹子との相性の良さが大きかったように思われる。まぁ質問はシンプルで、50年の伝統通り手元に取材済みの資料を携えてだった(画面には映ってないけどね)みたいだけど、それだけに答える方も答えやすかったのかもしれない。


何より、ヒカルがここまで「甘える感じ」で対談orインタビューに応じる機会が稀でねぇ。毎度引用して申し訳ないが、あの70年代随一のミリオンセラーアーティスト、邦楽界の大先輩でありヒカルも「少年時代」をカバーしてリスペクトしている井上陽水がヒカルと会食した時に(緊張して)味がわからなかったとまで言うのだから。3回りも歳下に対して言うセリフじゃあない。それこそ、桑田佳祐だって緊張するだろうねヒカルに対しては。いやタモリみたいにデレデレになる可能性もあるか。とにかく!宇多田ヒカルに対してはかなり年齢の上な大先輩であっても恐縮したりへりくだったりが基本なので、ヒカルは誰かに甘えるなんてこと出来ないのだ。


それをヒカルにさせることができたのは、もう単純に黒柳徹子という人が化け物級の大人物だからに他ならない。レディを捕まえて化け物呼ばわりなんて大変失礼でごめんなさいなんだけど、それくらいに器の大きい人なのだ。無礼で不躾で鈍感なのは間違いないのだけれど、テレビに最初の日から出続けていて、名司会者であり名解答者であり、舞台俳優でありベストセラー作家であり、パンダで政治を動かせるユニゼフ親善大使であり、いやもう何もかもスケールの違う人。なのに基本的に全く偉ぶらないのでキュートさが絶え間ない辺り、ヒカルとの相性もバッチリなわけで、確かに今の老いた姿からは想像できないという若い人も居るかもしれないけれど、92歳でメイクして派手な衣装着てしゃんとして人前に出るだけでも大仕事なのに、しっかりとトーク番組を成立させてるんだからいやごめんほんとごめん、でも化け物級ってやっぱり言いたくなります。


と、散々持ち上げといて何なんですけど、そんなことどこ吹く風で会話してた二人は本当に孫娘とおばあちゃんみたいで微笑ましくて堪らなかった。それこそ「どこにでもある風景」でしかなかったのよね。番組名の「徹子の部屋」の名の通りのコンセプト、黒柳徹子の自宅の部屋に招いてお茶してるだけの、そんな会話であったのよ。いや勿論2人ともちゃんとテレビカメラは意識して喋ってたけれども。なんというか、化け物級の2人がやっと邂逅したなっていう、それが前回の4時間SP以上にしみじみと感じられた一夜でした。嗚呼まだまだ語りたいぜ。


さて今のうちに前々回書いた女性自身の記事について触れておきたい。


要約すると、


「2024年夏公演後数人に尾行されて自宅マンションでサインをせびられた」


という事らしい。つまり自宅とは日本国内の話でロンドンのお家じゃなかったのね。ここはしっかりと訂正しておきたいわね


記事には「熱狂的な“追っかけ”ファン数人が(ヒカルパイセンを)追跡しマンションに侵入後サインを求めてエレベーター内にまで無断で立ち入った」とある。心底恐ろしい。目的がサイン入手だったのは不幸中の幸いか(勿論全面的に駄目なのは変わらないけど)。もしこれが襲撃目的だったらと思うと身の毛もよだつわ。ヒカルが身体的に無事でよかった。ツアー続行できたんだもんな。しかし心的外傷は残るだろう。生命の恐怖でしかないもんね。率直に言って許せない。


それに、これが本当に「熱狂的なファン」によるものなのかどうかも疑問が残る。数人とは書いてあるものの、最初からサインの転売目的で近づいてきた可能性も捨て切れない。そういう場合は様々なアーティストやアイドルのファンのふりをするのもお手のものだろうしな。最近の大人しめの宇多田ヒカルファンの生態からするとどうにも考えづらいもんねこんな人たちが居るだなんて。昔から心の病を抱えるリスナーに好かれがちではあるけれど、そんな風でもなさそうだし。勿論、警察の捜査が入ったというからには記事もそこまで誤った情報は記述しないとは思うんですがね。わかんないねそこんとこは。



すぐに思い出すのはやはり2005年3月ののあのメッセ。


『---I mean, in the past they've experienced situations where I was very nearly attacked by armed stalkers and by really rather insane people, most of those happening during or after concerts (...don't know why! maybe it's the excitement!)』


https://www.sonymusic.co.jp/Music/Info/utadahikaru/en/from-hikki/index_5.html


詳しくは翻訳機にでも掛けて読んで貰いたいが(ワンクッション置きたい内容なので)、昔からこういう事がある訳なので、ぶっちゃけ日本に居る間は単独行動とかは謹んで貰いたいくらいなんですよ、えぇ。でも人の自由を奪うだなんて私は大嫌いなのでなぁ。物凄い葛藤だわねこれ。せめてツアー中くらいは、自宅やホテルまでは誰か一緒に帰ってくれないかなぁと思ったり思わなくもなかったり。


まぁヒカルさんも、場合によってはダヌくんを巻き込んでしまうので、その場合は自身が身を挺してしまいそうで怖い。おっとろしい。想像するのすら怖い。現実で起きたら私きっと日本国憲法無視する。



…心が早鐘を打ちそうなエントリになってしまったのでここで打ち切っとく。いやホンマ、心臓に悪いエピソードだったね。本来なら内装の記事をどう扱うかって話をしたかったんだけど、いやもうプライベートの時間や居場所に繋がる話題は極力避けたいってそれだけですよハイ!


昨日は寝耳に水の大ニュースで。来月3月27日発売のチャーリー・プースのニューアルバム「ホワットエヴァーズ・クレヴァー!」のトラックリストが発表されて、その中の7曲目「ホーム」という曲に「フィーチャリング・ヒカル・ウタダ」の文字が! あ、やっぱヒカル・ウタダの語順なのねと妙な確認をしつつ大歓喜な祝日の朝でした。


こんな聴く前から勝ち確なコラボレーションも珍し…くもないか。コラボなんてのは相性の良い人を連れてくるもんだしな。そういう意味では「実際にやれることにになったのは驚きだけれど、この組み合わせ自体には意外性はない」といったところ。日本で言えば山口百恵と中森明菜が歌うようなもので…って喩えが相変わらず古いな、まぁとにかくヒカルとの相性は抜群だろう。


過去事例でいえば2024年8月のサム・スミスとの「ステイ・ウィズ・ミー」を思い出して貰えれば、立ち位置的には近いだろう。国はイギリスとアメリカという違いはあれど、2人のYouTubeでの再生回数も似たようなものだから知名度も同じくらいかもしれない。年齢も近いし(チャーリーの方が一個上か)、ジャンルレスのポップ・ミュージックを標榜するシンガーソングライターという特質も共通している。ヒカルもそうなんだけど、抜群のポップセンスとメロディ・メイカーとしての才能が、優しさと粘度を抑えた湿り気を纏って音楽に宿るタイプなのも似通っている。まぁよっぽどのことがない限りこのコラボレーションは成功しているだろう。


これがどういう経緯で決まったのかというのも興味深いところだが、どうやらチャーリーのファンの方々の意見によると、今回のプロデューサーの一人であるブラッドポップの推薦だったのではないかという憶測が確からしい。チャーリー自身のJ-popへのコメントはそうみられないがマイケル(・タッカー/ブラッドポップの本名)は度々J-pop への傾倒を口にしているということで、彼からの提案だったというのが自然だろうと。これは続報を待ちたいところだね。万が一その「ホーム」という曲でビデオなんか撮られてた日にゃヒカルとチャーリーのインタビューなんかも出回るだろうしな。


それにしても、上述のサムとの共演もそうだけど、昨年のアルカやサム(・シェパード/フローティング・ポインツの中の人)のライブ出演など、ヒカルさんの日本語圏以外の才能とのコラボレーションが活発化しているな。いや、海外での反応の良さも考えるとここに米津玄師との『JANE DOE』での共演も考慮に入れるべきか。彼もサムやチャーリー、マイケルに近い90年代前半生まれだし、同じ流れで考えるべきかな。こう云うのもなんだけど、多分キコ(フランチェスコ・カリアーノ)とも歳が近いよね。ヒカルさん、これくらいの歳下男子が好きって定評が出来ちゃうかもしれないぞっ!?