悶々悶々と日々を過ごしておりましたが、

いえ、まだ過ごしておりますが、

が!それでも!

もちろん一生懸命生きております。



皆様こんにちは。



あんまりにも重苦しいというか、

人間の業やら愚かしさやらと対面しまくりで、

辟易しているわけでこざいます。



人というのは自分中心に、

というか自分の視点でしか世界を見られないわけで、

ともすれば自分が神であるかのようなトンでも発言をしちゃうことがあります。



先日の川崎での事件についての、

「一人で死ね」

という意見があちこちで噴出しました件、

恐ろしいもので、

よく他人に「一人で死ね」と言えたものだなと、冷たいなと、

むしろそう言っている貴方の方が危ないんじゃないかとすら思わされる発言です。

「一人で死ね」

と言えてしまう世の中であるから、

実際に自殺なんてものが馬鹿みたいに多発していて、

故に電車も止まるし、

電車がとまれば今度は、

「死んでまで他人に迷惑をかけるな」

と言われるし、

そうするとなんだろう、

誰にも迷惑かけずに死ぬためにはどうすればいいのかな?

宇宙の果てにでも飛ばしてくれとか、

そんな発想しか浮かびませんが。

多くの人は他人の自殺なんかに興味のカケラもないわけでして、

ただただワタクシに迷惑をかけてくれるな、

という寒々しい人間性に帰結するわけです。

自殺するしかなかった人と、

それを疎外する自己中心的な寒々しい人間という、

なんとも世の中の虚しさを簡潔に表した形となってしまう。

本当に彼らは自殺するしかないのか?

本当に彼らは無関心でいるしかないのか?

人が自殺するに至る経験は想像を絶する。

無関心な人間になる経緯も社会的な要因が大きい気がします。

一言で片付けられるとは思えません。



直後に起きた警官の発砲の件、

やむ無しという判断であったとは思います。

が、それに対する世間の言葉がまた狂気とでもいうのか、

「警官はもっと撃て」「撃ってよかった」「撃たなきゃもっと人が被害に遭ったかも」

なんて、一体この方々は何をどう考えてそんなことを思ったのか。

実際、撃たれた容疑者は亡くなってしまい、

この瞬間に人が一人命絶え、

人が一人「人殺し」になったわけですから、

亡くなった方のご家族やご友人は悲しんでいるかもしれないし、

撃った警官は正当防衛だったにせよ人を殺したという事実を背負うわけです。

警官は人を殺すために警官になったのではないはずです。

人を守るためになったのかもしれません。

このギャップに精神が耐えうるのか?

親は人殺しの親となり、

子供は人殺しの子供になる。

「正当防衛かどうか」

という議論はそこにはない。

ただ「人を殺したかどうか」ということだけ。

撃った本人には地獄だ。

そんな背景なんか想像しないのが、

現在の「無関心社会」だ。

イラクやアフガニスタンに出兵した米兵のPTSDのことなんか誰も興味がない。

人を殺すなんてするべきじゃないんだとなかなか理解に至らない。



無関心でいられないはずなのだけど。  



かつて日本は第二次世界大戦時、

広島長崎に原爆を投下されました。

一瞬で数十万人がなくなりました。

いまも後遺症で苦しむ人が多くいます。

これは紛れもない事実ですが、 

このことについてアメリカをはじめ、日本と敵対していた各国の意見は、

「原爆によって戦争が早期終結した」「正しい選択であった」

という原爆投下を正当とするものです。

おかしな話でこの原爆投下を批難する日本人は多いわけで、

ここでは日本人の多くは「投下不要論」「過剰防衛論」とかを展開する。



警官発砲はどんどん撃つべきとして、

原爆投下は過剰だとするという、

どうも矛盾を感じざるを得ないところです。

形は違えど正当防衛として原爆を使った米英諸国は自分達の国や民族を守るために仕方なくやったのですから、

家族や社会を守るために危険な犯罪者を射殺するのもやむを得ないとする日本の人々となんら変わりない心持ちではないかなと思う。

主観が入ると途端に理性的な判断すらできなくなるのかもしれない。

自分が何を言ってるのかもわからなくなる。

不安や恐怖に支配される。



私は日本人が原爆投下の歴史を忘れているような気がします。

正しく認識しているのならば、

社会を守るためになら人を殺しても構わないなどとおかしなことを言えないはずです。

相手を殺す以外の選択を模索することで本当の解決の道が見つかる気がします。

物事は白黒ではない。正否ではない。

最善の道は今すぐには見つからないと思います。

解決は数百年先かもしれない。

大事なのは考えることをやめないこと。

今すぐに結論を出さないこと。

思考停止は現実逃避にしかならないんじゃないかな。



僕らは物事を考えていけるようお客様に様々な視点を見せていきます。

俳優にしかできないこと、

舞台にしかできないことはきっと多くて、

それらを伝えるためにも芝居を続けて行きます。

ただ楽しくてやってるわけじゃない。

見せたいものがあります。