夏も終わりが近づいていますねー。

あれだけ猛暑が続いていたのも過去のこと。

今となっては「いやぁ大変でしたね」というぐらいの話。

とはいえ、

亡くなった方からすればそんな話にはなりませんが。








悲観という言葉がございます。

悲劇的観点、とかその辺が語源なのかな?

身内を失ったとある方がいらして、

とてもお辛いだろうと思うのですが、

「身内の死を背負う自分は大変なのだ」と、

自分の辛さを吐露するわけです。

その通りだとは思います。きっと辛い。

でもよくよく考えてみると多分、

一番辛いのは亡くなったその方ではないかなと思ったり。

病気か事故かは知りませんが何にせよ、

大きな苦痛を以てこの世を去ったわけですから、

嘆いているその人よりはやはり辛い。

痛かった、苦しかった、怖かった、

いろいろ思ったでしょうに。

いま生きている自分は身内を失った悲しみは大きくとも、

亡くなった本人以上に落ちていては、

亡くなったその方も救われないよなぁ。

落ち込んでいる場合ではない、前に進まなくては!

と自らを奮い立たせている姿を見せる方が、

お互いに幸せな気がします。

何にせよ生きていく他ないのですから。



前に進むのが人生なわけで、

停滞(休憩)することもあるけど結局は進むことにしなくてはならんわけなのです。

変化してくのがこの世界の法則なのですし。

過去の自分に囚われている人は、

現在を悲観しながら自分を棚に上げて他人を攻撃する。

要するに愛の無い人というか、優しさの無い人というか、温かみの無い人というか、

そんな人。

その人は自分には無いものを持っている人に対して嫉妬の塊になります。

自分が駄目なら努力して自分を変えればいいのにね、

それがめんどくさいからね。

羨むぐらいならむしろエネルギーになるけど、

嫉妬で人を攻撃するぐらいになるのはアウトです。

が、そのアウトになっている人が多いのも事実。



人から攻撃される人っていうのも結構いることだろうと思います。

悪口言われるとか、嫌がらせされるとかね。

僕もそんな思いをすることが多々あります。

そうすると腹が立ったり落ち込んだりする。

自分に対して悲観的にもなる。

自分が嫌になってきたりとかね。



しかし「嫉妬の感情」って、

「自分が欲しいのに無いもの」を相手が持っている時に生まれるらしいんです。

で、これを理解することが大事で、

相手は私の持っているものが羨ましい、

私は相手が持てないものを持っている、

なら相手の嫉妬は自然な感情だよなぁ、

とか、そんな感じに理解する。わかってあげる。



相手を許して、自分をポジティブに評価すれば、

まぁ嫉妬もそんなに悪くはないなと思ったり。

なんというか、

別に誰が悪いとかではなく自然なこととして嫉妬があって、

一方で自分は自分としてなかなか良いのだな、

と自分にマルをつけてやるって話。

嫌がらせされようが悪口言われようが、

実際は結構ポジティブな出来事なわけです。

角度を変えて見てみよう。






そうそう、

先日、明治神宮に行って来ました!






めっちゃめちゃ気持ちが晴れ晴れしました!
 
忙しくしてたり余裕がなかったりで、

頭の中が渋滞(笑)してたのですが、

一気に渋滞解消です。

この日は風がわりと強くてあまり暑くなく、

青空が広がっててなかなかの景色でした♪

お宮と木々と空のコントラストとか、

こんなの誰が考えて作ったのかしら。すごいよね。  

自分を見つめ直して、

どうしても自己評価が低くなってしまうのを修正して、

いやいやしかし俺ってなかなか素晴らしき人物である!

とか思い直して、

再び再始動するのでした。



このあと原宿は竹下通りをブラブラしたのですけど、

さっきまでの神聖な空気と真逆で、

若い人たちの弾けるようなパワーに溢れたこの街に、

なんだかちょっと元気をもらったのでした。

クレープ食べたかったけどなー、

思った以上に混んでてなー、

またのチャンスに食べるかな(笑)