いろんな人に言われる言葉です。

「やりたいことがあるっていいですね」
やりたいことが無い人なんていないと僕は思うんです。
が、
どうやら多くの人は、
「やりたいことはあるけどどうせムリ!」
って初めから思ってるらしいです。
そんな人たちに「やりたいことは?」
と聞くと、
「旅行に行きたい」「好きなアーティストのライブに行ってみたい」「結婚したい」「もっと経済的に楽がしたい」「自然の多い場所で暮らしたい」等々、
結構できそうなことが出てくる。
そして決まってその言葉のあとに、
「でも~」「けど~」「だけど~」
って続く。
例えば「旅行に行きたい」という人に行けない理由を聞くと、
「でもお金が無い」
とおっしゃる。
「貯金は?」
「貯金は多少はあるよ」
「じゃあ行けるじゃん?」
「でも時間がないよ」
「有給とか取れるの?」
「まぁ…取れないことはないけど」
「じゃあ行けるじゃん?」
「けど…うーん…きっかけがさぁ」
「いやいや、今がきっかけだよ!」
「まぁ、そうなんだけど…」
これがまぁどなたと話してもこうなるのです。
ツッコミたくなる。
不思議か!!(笑)
と。
まぁしかし実際のところ老後のために貯金してたり将来の不安があって貯金してたり、
毎日の激務で疲れ果てているとか、
そういったことはあるから一言でぶった切れないですが、
できることって多分気持ち一つでどうにでもなる。
僕は役者をやっているけど、
お見せしたくない現実を言うと「貧乏暇無し」なのです(笑)
お金と時間を犠牲にはしたけど結果として、
「役者をやる」
という現実を手にしている。
例えば僕が「世界を旅して廻りたい」と思ったらきっと、
本当に世界を旅してしまうと思う。
「宇宙に行きたい」と思っても同じ。
捨てなければならないものも多いけど、
逆に捨てれば現実化してしまう。
限界値をどこに定めているかっていう話です。
限界値という話をすると、
僕は「結婚は人生の墓場」と本気で思っています。
結婚したら守るべき人ができて責任と義務が生まれてある程度ハードな制限ができてしまって、
もちろん「役者をやる」のも難しくなる。
となると「役者をやる」のを縮小して責任と義務を優先することになってしまう。
なのに何故、多くの人は「結婚」という選択をするのか?
「結婚するものだから」
「別にそう決まってなくない?」
「一人で生きていくのは淋しいから」
「結婚しなくても誰かと生きていく方法あるよ?」
「老後は子供に面倒を見てもらいたいから」
「え、自分のためなの?(笑)」
「周りがしてるから」
「いやいや、関係なくない?」
みたいなことを考えると、
まぁ別に結婚をしなければならない理由はそんなにない。
子供が増えないと経済が縮小するとかそんな話は僕らが個人で考えることじゃないし。
つまりは結婚という選択をしない、という選択はそんなに難しいことじゃない。
「結婚しなければならない」みたいな謎の先入観は、
過去の風習の名残みたいなもんじゃないかと思います。
実際、結婚したけど離婚して今は子供と二人暮らしです、シングルマザー・ファザーです、
という話はよく聞く。
「結婚しなければならない」という謎のプレッシャーに勝てれば(笑)逆に可能性は広がるかもしれない!と!思ったり!しませんか!?(笑)
古い考えってなかなか捨てられないものかもしれません。
常識とか慣習とか風潮とか、
なぜか偉大な引力をもっていますね(笑)
でもそのロックを外してあげれば意外となんでもできるものです。
できない理由を探すのではなくて、
やるための理由を探しましょう。
義務と責任にがんじがらめになっているのならば、
捨てる方法を探しましょう。
うつむいてる人が多すぎる。
溜め息をついてる人が多すぎる。
自由であれ。
解放された自分であれ。
楽しいことが一番大事!!

↑近所の浅間神社の御神木。
癒されてくだされぃ。