感想を書いてほしいと言われて、

いざ書こうと思ったときには、

なんというか、

観終わったあとの何とも言い難い気持ちに悩まされています。

主宰の前田さんに挨拶を、と思いつつ、

彼を前にして何を言うべきか言わぬべきか、

フリーズしてしまった。



「クラゲ図鑑」

はチラシにも書いてあるが実話です。

天をも恨む、というか、

そんな場面もある。

でも後ろ向きなものじゃあない。



「自分のこれまでの人生を演ってくれ!」

と、もしも言われたら、

僕は全力でお断りさせていただきたい。

悲しむ人がたくさんいる。

哀れむ人がたくさんいるから。

僕がいくら肯定的に思っても、

人はそう思うとは限らない。

心にしまって逝くべきだと思っている。



多分、生きることに悩まない人間はいない。

一人一人がなにか持っている。

息が詰まるような、

叫びたくなるような、

何か。
 
「クラゲ図鑑」

は人間を描いていました。

愛憎入り交じるどうしようもない“人間”について、

見栄も張らず、

縮こまらず、

そのままの“人間”てものを露にしていた気がする。

観られ方を気にせずに突き進んでくれたことが何より心打たれたなぁ。

前田さんの性格そのものだなぁと。



僕は来月34になる。

まだハナタレです。

それでもこの34年間は無茶苦茶過酷で地獄のようなものだったと思い、

もう一度同じ人生など絶対に歩みたくないと思う。

そんな真っ暗闇の中から飛び出して、

血ヘドを吐いて、

歯を食いしばってやってきてわかったことは山ほどある。



人は愚かでありながら何故かとてもいとおしい。



愛憎、とよく言ったものですが、

その通り、

愛と憎は同義語である。

天と地が同義語であるように、

男と女が同義語であるように、

生と死が同義語であるように。

同じ顔して綺麗にそこに並んでいる。



先日拝見した松尾氏の芝居にも、

生と死が描かれていた。

角度は違えど、

やはり同義語として存在している気がする。

何故かなぁ。







自分の親が年老いて、

思うことがある。

終わりが必ず来ることを知っていて、

それは生と同義でありながら、

それでも納得いかない。

答えは出ないものなんだろうなと思う。

自分にも終わりが必ず来る。

やっぱり納得いかない。

死とは、なに、か?





この間、

一年も先の約束を求められました。

僕は返答に困りました。

果たせる保証がないからだ。



昼間に観た芝居は、

見たくないものに蓋をする人間の話。

でも実際、

蓋をしてるわけじゃなくて、

まだ答えが出なくて保留にしてるんだよきっと。

「いつか使うかも」

と言ってタンスの肥やしになってる服みたいな。

いつぞやの友達との約束みたいな。

「そのうち」

と。

ただいずれ決断するときは来てしまうから、

そんなに遠くない未来に、

腹を決めてやらなきゃならないよね。

その期限としての「死」なのか。



とまぁ、

その答えも出ないわけですけどね。まだ。

腹をくくるのが80歳の時とかにならないように、

毎日を真剣に生きていく。

そんな感じ。





そういや久しぶりに阿佐ヶ谷にいきました。


狭い路地。

少し前のことを思い出しながら、

巨大なスイカのハーフが500円で売られている事実に驚愕して、

買って帰ろうかと思った。

いやいやいや!バカか!

これから下北で観劇だから!

と自分をなだめてスルー。

あっぶねぇ、

もう少しで下北の劇場でスイカ臭を撒き散らすとこだった。

小さな商店街とかいいよね。



上野↓


人ごみは苦手だけど、
 
人の息吹を感じる路地裏は好きだな。


とにかく肉食って明日も頑張ろう。

掃除しなきゃ!!