今では早いくらいの年齢ですが、バブル期では適齢期。
2歳年上の夫は大学病院の勤務医。
釣り合いがとれない結婚ではなかったけれど、打算はあったかもしれません。
最初は義両親と同居。
厳しい義母でした。
義父、夫が帰って来たときは三つ指ついてお出迎え。
実家には帰ってはいけない。 等々。。。
休日 夫と出掛けると義母は半狂乱。
帰ってきた私の袖口をつかんで別室で叱責です。(多分自分も連れて行ってほしいらしい)
夫に言っても聞く耳を持ってないので一人で我慢です。
2年経って長男が産まれます。
その日以来 私の呼び名は
『おっぱいおばさん』
私は子どもを産んで育てお三度するためだけのマシンなんだという認識を持ちます。
3年目に夫は県外の病院転勤になります。
ようやく義母からの呪縛が緩みますが、月に1週間ほど遊びに来てました。
7年目に転勤先で開業。
子どもが大きくなってからは私も手伝うように。
その間に優しかった義父は病死。
その為 義母は月の半分やってくるように。
義母が家にいる間は徹底して義母の世話をするように と夫から強く言われ続けます。
この辺りから関係が余計ギクシャクするようになりました。
夫は 典型的なモラハラ夫。
いきなり怒鳴りちらす。物を投げる。
その間 私の頭の中は真っ白になります。
だんだんそうするようになってきたのです。自己防衛です。
まともに言葉を受けていると失神してしまいます。
3年前に人に貸していたデイサービスの借り手がいなくなり(赤字の為)、潰すことに。
しかし勿体無いと思った(思い付いた)夫はその運営すべてを私にするようにと命令。
クリニックのスタッフ、子どもたち 周りのすべての人が反対しました。
古くなった建物には利用者さんはこない。人材もなし。ノウハウ全くなし。
ですから。
最後の望み、家族会議を開きましたが
夫は暴れるだけ。
子どもから「お母さん、もう我慢しなくていいよ」の一言で家を出る決心がつきました。
子どもたちは大学進学で夫からは離れて暮らしていました。
おっぱいおばさんの勤めもこれで終わりです。
やることはやりました。
デイサービスを経営すれば 増えるであろう借金をこれ以上増やすことのないように家を出ました。
私が運営しなければ取り壊し、赤字決算で翌年の多額の税金からは免れます。
(最初からその予定だったのだから)
その前に 実家に相談に行きましたが、満場一致で離婚に賛成。
ちょっと寂しい気もしましたが、実家での傍若無人な夫の態度に辟易していた身内はこの日を待っていたかのようでした。
そして今に至ります。
24年近くの物語、そんなに簡単に語れるものではありませんが
義母や夫に教わった大事なこともたくさんあった、と最近よく思うのです。
心折れる事をいつも言われていたけれど、私は守られて生活していました。
いま そのストレスはないけれど、社会と闘う厳しい日々。
どちらがよかったのだろう。
悔やんでも仕方がないので、自由で素敵な生活を送るつもり 。。。
なのにアルコールに溺れています。
振り切るんだ。
答えは見えないけど 自分が納得できる日々を積み重ねていけば何かしら分かってくるかな。