黒沢君
アメリカン・ショー・ビジネスがしゃかりきになって、精鋭のソングライターやミュージシャンを総動員し、モンキーズというアイコンを擁立させて対抗しなければならないほど、ブリティッシュ・インヴェージョンの勢いは猛烈でした。
そして、ビートルズが全米上陸を果たした1964年を境として、アメリカ、しいては世界の音楽シーン、そしてカルチャーが大きく変化をとげたのでした。
1964年はまさに時代の分水嶺。日本では東京オリンピックの年でもありました。
黒沢君もご存知のように僕がビートルズと遭遇したのは1964年。リアルタイムど真ん中でした。友達から借りたシングル盤、「Please Mr. Postman」を聴いたとき、背筋に旋律が走り、僕の中に化学反応が起こって、その日からそれまでの自分とは別の自分になってしまったような気がしました。
それまで家族といっしょにテレビを見ていた少年が、自分の部屋で勉強そっちのけでラジオのヒットパレード番組を聴くようになり、いつのまにか髪の毛が長くなっても床屋に行かなくなりました。耳が隠れるほどまでだから、いまの長髪の概念から行けば全然短いのだけれど、当時は先生にはさみを持って追いかけられました。ロックが不良だなんていわれてはじめたのもこの頃からです。
それまでのテレビの海外ドラマや少年ヒーローへの憧れが僕の世界からフェイド・アウトしていくのと入れ替わるように、ビートルズやストーンズから始まっためくるめく数々の洋楽が、僕の世界を占拠していきました。
時は立ち1966年。モンキーズ・ショーが日本でも放映されることになり、ワクワクしながらその第1回を見ていた時のことでした。新しいバンドのはずなのに、ドラムスのミッキー・ドレンツを見たとき、初めての感じがしなかった。どこか見覚えがあったのです。そんな馬鹿な。な、なぜなんだ?
これは第1回目の映像ではないけれど、一番ミッキーがフィーチャーされてたので載せました。
遠い記憶の海の底からゆっくりと浮かび上がってきたのは、テレビ開局当時、毎週楽しみにしていた「サーカス・ボーイ」という海外ドラマでした。サーカス団で暮らす、象に乗ったコーキーという少年に扮していたあの子供が、なんとその後、モンキーズのミッキー・ドレンツとなって、僕の前に現れたのでした。まさかの意表をつかれ、いやー驚いたのなんの。1964年という境目で、僕の中でしっかりと分かれていたはずのビフォー&アフターの世界が重なりあった、絶対ありえない瞬間でした。
後年、スティーヴン・スティルスやヴァン・ダイク・パークスまでがモンキーズのオーディションを受けていたというエピソードを知ってからは、なんでもありえないことなどはこの世にはないのだと悟りましたが ... 。
もうひとつ、別のビフォー&アフターのエピソードがあるのだけど。長くなるので今日はこのくらいで。
アメリカン・ショー・ビジネスがしゃかりきになって、精鋭のソングライターやミュージシャンを総動員し、モンキーズというアイコンを擁立させて対抗しなければならないほど、ブリティッシュ・インヴェージョンの勢いは猛烈でした。
そして、ビートルズが全米上陸を果たした1964年を境として、アメリカ、しいては世界の音楽シーン、そしてカルチャーが大きく変化をとげたのでした。
1964年はまさに時代の分水嶺。日本では東京オリンピックの年でもありました。
黒沢君もご存知のように僕がビートルズと遭遇したのは1964年。リアルタイムど真ん中でした。友達から借りたシングル盤、「Please Mr. Postman」を聴いたとき、背筋に旋律が走り、僕の中に化学反応が起こって、その日からそれまでの自分とは別の自分になってしまったような気がしました。
それまで家族といっしょにテレビを見ていた少年が、自分の部屋で勉強そっちのけでラジオのヒットパレード番組を聴くようになり、いつのまにか髪の毛が長くなっても床屋に行かなくなりました。耳が隠れるほどまでだから、いまの長髪の概念から行けば全然短いのだけれど、当時は先生にはさみを持って追いかけられました。ロックが不良だなんていわれてはじめたのもこの頃からです。
それまでのテレビの海外ドラマや少年ヒーローへの憧れが僕の世界からフェイド・アウトしていくのと入れ替わるように、ビートルズやストーンズから始まっためくるめく数々の洋楽が、僕の世界を占拠していきました。
時は立ち1966年。モンキーズ・ショーが日本でも放映されることになり、ワクワクしながらその第1回を見ていた時のことでした。新しいバンドのはずなのに、ドラムスのミッキー・ドレンツを見たとき、初めての感じがしなかった。どこか見覚えがあったのです。そんな馬鹿な。な、なぜなんだ?
これは第1回目の映像ではないけれど、一番ミッキーがフィーチャーされてたので載せました。
遠い記憶の海の底からゆっくりと浮かび上がってきたのは、テレビ開局当時、毎週楽しみにしていた「サーカス・ボーイ」という海外ドラマでした。サーカス団で暮らす、象に乗ったコーキーという少年に扮していたあの子供が、なんとその後、モンキーズのミッキー・ドレンツとなって、僕の前に現れたのでした。まさかの意表をつかれ、いやー驚いたのなんの。1964年という境目で、僕の中でしっかりと分かれていたはずのビフォー&アフターの世界が重なりあった、絶対ありえない瞬間でした。
後年、スティーヴン・スティルスやヴァン・ダイク・パークスまでがモンキーズのオーディションを受けていたというエピソードを知ってからは、なんでもありえないことなどはこの世にはないのだと悟りましたが ... 。
もうひとつ、別のビフォー&アフターのエピソードがあるのだけど。長くなるので今日はこのくらいで。