私は某重工業の航空宇宙事業部の材料技術技術者でした。
担当は複合材料でした。
航空機に使う為には、材料仕様書を制定し、この仕様書に合致することを確かめたのち使用する事と航空法に規定されています。その為、合致することを確かめる試験を実施します。その試験に立会、要求に合致していることを確かめるのも私の業務でした。
航空機の複合材料は、殆んど輸入品で、試験立ち合いは、多くが外国でした。その為、多く海外出張に出掛けました。
国内の出張だけでなく、海外出張においてもお守りとして勾玉を身に着けて出かけていました。
また、2003年11月から2005年7月までシアトル郊外の飛行機製造会社に単身赴任していましたが、この間もズーっと身に着けていました。
いかに、私が危機と感じた出来事を記述いたします。
- 2000年6月。 ヘリコプターに使う材料の認定試験の立ち合いにスイス出張しました。出張先の会社が航空局立会の試験に失敗し、試験が翌週に延期になりました。試験は無事終了し、結果も良好でした。出張が延長された為、帰りの便を変更し、KLMになったのですが、チューリッヒ空港からの出発がAir Traffic Busyの為2時間以上出発が遅延し、アムステルダムでのTransitが6-7分しか有りませんでした。私を含めて5-6人の日本人乗客は空港の地下道を走って関空行きの飛行機に乗り換えたのです。私達は間に合ったのですが、私のスーツケースは乗り換え出来ず3日後に冷凍荷物で帰って来ました。
- 2001年5月 ブラジルに出張しました。28日、アトランタからサンパウロ行きの飛行機の7つ有るトイレの4つが詰まり、カラカスに緊急着陸しました。この際タイヤがパンクし、1日足止めを食いました。パンクの原因は最大着陸荷重をオーバーしたためだと聞きました。アトランタからカラカスは、最終目的地サンパウロの4割程の位置に有ります。飛行機はサンパウロまで飛べる燃料を積んで出発します。カラカスでは未だ沢山の燃料を積んでします。通常は、計算して最大着陸荷重より重い場合は燃料を洋上投棄して軽くして緊急着陸をします。パイロットは洋上投棄をケチって返って損害を大きくしてしまったと思います。一歩間違えばクラッシュする所でした。
- 2001年5月29日。 ブラジルの出張時滞在先のホテルから近くのスーパーに買い物に行ったが、そこに行く経路は同僚がホールドアップされたことがある治安が悪い所だった。無事帰って来ました。。
- 2009年9月21日。 ロシアサンクトペテルブルグの血の上の救世主教会の先に土産物屋さんが有りそこに歩いて行ったが途中が危ない地区だったらしいです。無事帰ってきました。
- 2011年11月。 イタリア旅行でミラノのタクシーの中にバックパックを忘れてしまいました。気が付いて、ホテルに引き返し、タクシーと連絡を取りましたが、隣町に居るといって直ぐには来てくれず、取り返すのに2時間以上かかりました。バックパックにはパソコンが入っていました。
- 2011年11月14日。 ローマのバチカンのピエタの前で携帯をすられました。だが、スリの頭目(若しくはスリの実行役)が携帯を、落ちていたと返してきました。携帯はサムスンのSC-05Dでした。彼の顔はピエタに近づいていく際ビデオで顔を撮っていたためと思われます。
(写真の黒枠のメガネがスリの頭目または実行役と思われる男。皆がピエタの方を見ているが、彼らだけ新たに来る人を見ている。カモを探していたと思われる。囮役の女性が私の嫁さんに写真を撮ってくれとカメラを渡したが、嫁さんが私は取れないからとカメラを渡してきたので、ターゲットが嫁さんから私に代わったのだと思う。) - 2015年9月。 パリ18区の北クリニャンクールまで地下鉄で、そこから歩いてロジェ通りのアンティークショップ街に行ったのですが、、行きは朝が早かったので問題なかったけど、帰りは午後になり、クリニャンクールの地下鉄の入り口までの環状道路のガード下は黒人やアラブ系の呼び子がウヨウヨ居て物を売りつけようとしていて危険な感じでしたが、嫁さん共々無事帰ってこられました。