私はお寺にはほとんどと言っていいくらい訪れないが、
今回京都霊山護国神社に参拝したおり、隣りにある高台寺のやけにデカイ仏像が目に入り、
護国神社の参拝後、ちょっと辺りを覗いてみた。
でかい駐車場に観光バスが一杯。駐車場の誘導係も何人もいる。
こんな光景は一部のよっぽど大きな神社以外ではまず見ない。
まっ、お寺にしても全てが全てこんな大規模ってわけじゃないけど。
でも京都って言うとお寺の方が圧倒的に観光客が多いように思う。
そこで、第一印象。
「儲かってるんだろうな~」
拝観料が600円かかるので、お寺の中までは入ってない。
(無駄使いが多い割りに、こんな所だけは細かい私です・・・^^)

お寺はお金儲けがうまいよね。「坊主丸儲け」という言葉もあるくらいだし^^。
でもそれは、それだけお金をお寺のために使っても余りあるご利益があるんだろう、きっと。
日本人は何故かお寺のほうにありがたみを感じる人種のように思えて仕方がない。
それだけ生活の中に深く溶け込んでいるからなのかな~???
仏教が伝来してだいぶたつもんね。浸透して当然といえば当然かもしれない。
私は専門家じゃないし、仏教にしても神道にしても奥深いところは全くわからない、
ほんの上っ面だけをかじっているだけなので、
感じるままの意見という事で聞き流して下さい。(←ここ大事です^^)

まず感じるのが、
な~んか、仏教のほうが神道より偉いんだぞーって感じがしてならない。
仏のほうが神より上位にあるってのが気に食わないところだ^^。
神仏習合は仏教により、神道がいいように丸め込まれた結果じゃないだろうかと思ってしまう。
だって、仏教と神道とは全く別物だとおもっているわけでして・・・。
古来、神道というものがあるのに、外来の宗教がこれほどまでに巾を利かせていいのかーー!
そりゃー、遠い昔に日本に仏教が伝わってきて、僧侶たちが一生懸命に布教し、
それなりの成果をあげた結果、土着の宗教みたいになったんだけど、なんか格差があるんだよねー。

人々が何かお願いするときには「神様どうかお願いします」とか「神様仏様どうかお願いします」
というように、必ず、神様が最初にくるのに。「仏様神様」という順番ではないはず。
受験の合格発表なんかで、「仏様どうか合格してますように!」なーーんて子はいないように思うが・・・。
私はべつに仏教嫌いではない。なんの否定もしない。行って見たいお寺だってあるし。
我が家のお墓も仏式だしね^^。

神社巡りを始めて、改めて何故こうも水を離されているのかなって思うのである。
神社にお参りするっていうのは、別ものなのかな~?。
宗教という観念がないのかもしれない。
困ったときの神頼みっていうくらいだから、
そういう状況に置かれた時に助けてくれるのが、神社って思っているのかもしれない。
それ以上でもそれ以下でもないのかもね。
なんか、とりとめのない文章になっちゃいましたが、ふとこんな思いにさせられた一場面でした。

神社には「おくゆかしさ」があるけど、お寺にはそれがあまり感じられないし~^^
(掲載写真は先週紹介しきれなかった京都霊山護国神社です。)