■少女像問題で韓国批判噴出=自民部会「条約違反」:時事ドットコムより。
http://www.jiji.com/sp/article?k=2017012700728&g=pol
2017年01月27日17時47分
自民党は27日、党本部で外交部会などの合同会議を開き、韓国・釜山の日本総領事館前に慰安婦を象徴する少女像が設置された問題について、政府から説明を聴取した。
出席者からは、少女像設置は外国公館の権威維持をうたったウィーン条約に違反するとして、国際司法裁判所(ICJ)への提訴を求めるなど強硬論が相次いだ。会合では「明確な条約違反だ。提訴すべきだ」との意見のほか、中断している日韓通貨スワップ(交換)の協議について、「未来永劫(えいごう)やめてもらいたい」との声も上がった。■対馬の寺から盗まれた仏像 韓国の寺に引き渡し命じる判決 | NHKニュースより。
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20170126/k10010853511000.html?utm_int=news-international_contents_list-items_032
1月26日 17時47分
5年前に長崎県対馬市の寺から盗まれその後、韓国で見つかった仏像をめぐって、韓国の寺が「日本の倭寇に略奪されたものだ」と主張して仏像を保管する韓国政府に対し引き渡すよう求めていた裁判で、韓国の地方裁判所は26日、「仏像は過去、正常ではない形で対馬に渡ったと見られる」などとして、韓国の寺への引き渡しを命じる判決を言い渡しました。一方、韓国政府は判決を不服として控訴しました。この裁判は5年前、長崎県対馬市の観音寺から韓国人の窃盗グループによって盗まれ、その後、韓国で見つかった仏像について、韓国中部のソサン(瑞山)にあるプソク(浮石)寺が「仏像は中世の高麗時代に自分たちの寺でつくられ、日本の倭寇に略奪されたものだ」と主張し、仏像を保管している韓国政府に対して、日本側に返還せずプソク寺に引き渡すよう求めていたものです。
これについてテジョン(大田)地方裁判所は26日、「仏像がつくられたあと、プソク寺がある地域に倭寇が5回侵入したという記録が残っている」と指摘したうえで、「仏像は過去、略奪や盗難など正常ではない形で対馬に渡ったと見られる」として、韓国政府に対し、仏像をプソク寺に引き渡すよう命じる判決を言い渡しました。一方、韓国政府は判決を不服として控訴しました。
この仏像をめぐっては、日本政府が韓国政府に対し、日本側に返還するよう求めていて、韓国政府が控訴したことから今後、高等裁判所で仏像の所有権について審理が続くことになります。
▲元住職「悔しさを超えて何とも言えない」
「観世音菩薩坐像」が盗まれた長崎県対馬市の観音寺で住職をしていた田中節孝さんは、3年前に韓国政府に宛てて仏像の早期返還を求める文書を送るなど働きかけを続けてきました。
仏像を韓国の寺に引き渡すよう命じた26日の判決について、田中さんは、「裁判所の判断が今まで長引いたのは、今回の結果を導くためだったのかという思いで、悔しさを超えて何とも言えない気持ちだ。判決を受けて韓国政府が控訴しなければ窃盗事件を正当化することにもなり、今後の隣国との関係のありようが問われる大きな問題だと思う」と話しています。
▲対馬市民「対馬に返すべき」
仏像が盗まれた寺がある長崎県対馬市の市民からは、仏像は日本の寺に返還されるべきだという声が多く聞かれました。
このうち、40代の男性は「これまでの経緯が裁判できちんと理解されていないのではないでしょうか。盗まれたものは対馬に返すべきだと思います」と話していました。
また、70代の女性は「納得がいかないです。対馬のものだったのだから対馬に返すべきです」と話し、この女性の娘は「判決には驚きました。対馬市には韓国からたくさんの人が観光で訪れていて、これからも盛り上げていけたらと思っているので残念です」と話していました。▲韓国の寺の住職「賢明な判断」
仏像の引き渡しを求めてきた韓国のプソク(浮石)寺のウォヌ(円牛)住職は、26日の判決のあと記者団に対し、「裁判所は歴史的な事実などを総合して賢明な判断をしてくれた。われわれの寺だけでなく、日本にはほかにも違法な形で流出した多くの文化財があり、引き渡しに向けて努力したい」と話していました。
▲官房長官「極めて遺憾」
菅官房長官は午前の記者会見で、「政府としては、外交ルートを通じてさまざまなレベルで、いまだ返還が実現していないこの仏像が早期に日本に返還されるよう、韓国政府に求めてきている。その中で、そうした判決が出たことは極めて残念だ。速やかに返還されるよう韓国政府側に適切な対応を求めていきたい」と述べました。▲判決理由のポイント
テジョン地方裁判所は、26日の判決で、仏像の内部から発見された文書の内容をもとに、仏像が1330年にプソク寺でつくられ、その後、奉納されたとみられるとしています。
また、「プソク寺のある地域では、1352年から1381年の間に倭寇が5回進入したという記録が『高麗史』に残っている」と指摘し、仏像は、対馬市の観音寺が創建された1526年ころよりも前に、「正常ではない形で対馬に渡ったとみられる」と結論づけています。
そのうえで裁判所は、プソク寺への引き渡しを命じた判決が確定するまでの間、仏像の保管場所を、韓国の文化財研究所からプソク寺へ移すことも認めるとしています。
一方、仏像が韓国人の窃盗グループによって違法に持ち去られ、その後、韓国で見つかったことについては、経緯に触れるにとどめています。
この事件をめぐっては、4年前、窃盗グループの6人に対して、懲役1年から4年の判決が言い渡されています。
▲これまでの経緯
5年前、対馬市の神社や寺から2つの仏像が盗まれました。国の重要文化財の「銅造如来立像(海神神社)」と県の指定有形文化財の「観世音菩薩坐像(観音寺)」です。仏像は翌年、韓国で発見され、仏像を盗んだとして韓国人の窃盗団が検挙されました。仏像を証拠品として保管する韓国政府は、当初、本物と確認されれば、国際条約に基づいて日本側に返還するとしていました。しかし、このうち観音寺から盗まれた「観世音菩薩坐像」について、韓国の寺が「中世に日本の倭寇に略奪されたものだ」などと主張して日本に返還しないよう求めたのを受け、韓国の裁判所は、仏像が日本に渡った経緯が明らかになるまでは日本に返還できないとする仮処分を出しました。
対馬市や観音寺は、仏像は朝鮮半島との交流の中で、仏教の普及などに伴ってもたらされたものだとし、日本政府も、韓国政府に対して返還を求めてきましたが、返還のめどは立たず、対馬市では30年以上続けられてきた日韓友好のイベントが一時、中止になるなど影響が広がりました。
そうした中、おととし、「銅造如来立像」については、韓国の検察が、「日本の神社が正当な管理者であることを認める」として、盗難から3年近くたって対馬市に戻りました。
一方、「観世音菩薩坐像」については、裁判所の仮処分の取り消し申請が可能になる3年がたち、日本への返還が注目された去年4月、所有権を主張する韓国の寺や信者が仏像の引き渡しを求める新たな訴えを起こし、韓国の裁判所の判断が注目されていました。
■韓国の裁判所、対馬から盗まれた仏像を「韓国の寺の所有物」と認める-- Record Chinaより。
http://sp.recordchina.co.jp/newsinfo.php?id=162134&ph=0
2017年1月26日、韓国・ニューシスによると、韓国の大田地方裁判所第12民事部が、大韓仏教曹渓宗浮石寺が大韓民国政府を相手に起こした有体動産引き渡し請求訴訟で、政府が保有している金銅観音菩薩坐像を忠清南道瑞山市浮石寺へ引き渡すよう命じる原告勝訴判決を下した。
裁判所は「証拠と証言、現場検証などを介し調査した結果、金銅観音菩薩坐像が浮石寺所有という事実を十分に推定することができる」とし、「正常でない状況で搬出された過程を経たが、浮石寺の所有が認められたため、(金銅観音菩薩坐像を)保管中の大韓民国は(金銅観音菩薩坐像を)原告に引き渡す義務がある」と命じた。
また裁判所は、原告側が仮執行を含めて請求していることに関連し、「被告(韓国政府)は、原告(浮石寺)の保存能力を理由に仮執行を拒否したが、歴史的、宗教的価値を考慮すると、原告が最善を尽くして保存する能力があると判断される」と仮執行を許可した。
今回の裁判で有体動産引き渡し請求訴訟の対象となった金銅観音菩薩坐像は、対馬の観音寺にあったもので、有形文化財に指定されていた。しかし、2012年に文化財窃盗団が日本から盗み韓国内に搬入した後、2013年に裁判所の(日本への)返還禁止仮処分決定以後、韓国内にとどまっており、2017年1月現在、大田国立文化財研究所収蔵庫に保管してある。浮石寺は、裁判所の仮処分決定後、国が所有している仏像の返還を求め訴訟を起こしていた。
今回の裁判所の判決に、「倭寇(13~16世紀に朝鮮・中国の沿岸を襲った海賊集団に対する朝鮮・中国側の呼称)が略奪していった仏像が元の場所に戻ってくるんだ」「正義の泥棒というべきだな」「久しぶりに満足のいく判決」「韓国語でよく言う『厚かましくいけばよい』ってやつだな」など好意的に捉える意見が多く寄せられた。 その一方で、「取得時効を認める民法が有る中で、一体どんな理由でこんな判決を下したんだ?」
「倭寇が略奪したものと推定するって?どんな証拠で?」
「大韓民国の法が『高麗時代のことまで判断することができるのか』というところから考えなければならない」など判決に対して疑問を呈する声もあった。
■【対馬の盗難仏像判決】日韓議連会長の額賀福志郎氏「もっと大きな視点で」 - 産経ニュースより。
http://www.sankei.com/smp/politics/news/170126/plt1701260028-s1.html
対馬の盗難仏像判決2017.1.26 17:36
日韓議員連盟会長の額賀福志郎・額賀派会長1/1枚
日韓議員連盟会長の額賀福志郎元財務相(自民)は26日、長崎県対馬市の観音寺から盗まれた仏像を韓国の寺に引き渡すよう命じた韓国・大田地裁の判決に関して、「北東アジアの安定のために日韓両国の安定した関係をどうやって再構築していくか。もっと大きな視点で見ていくべきだ」と述べ、政治問題化すべきではないとの見解を示した。
自身が会長を務める自民党額賀派(平成研究会)の例会後、記者団に語った。
★長崎県対馬市は、自ら犯罪者を招き入れ仏像などを土産として持ち出すのを、みすみす見逃した。
在り来たりの友好や警戒もせず南朝鮮からの観光客が落とす経済効果を、優先したのだから厳しい言い方かも知れないが「自業自得」だろう。
まぁ南朝鮮人だらけの対馬市には日本人は、恐ろしいし騒がしいから寄り付かないと思う。
対馬市に有る歴史的な文化財などは、対馬市が南朝鮮人にお土産として渡さない内に、長崎県が日本の博物館などに一時的に避難させるべきだと考える。
対馬市にある寺などに有る「絵馬」には、南朝鮮がハングル文字で反日的な言葉や「竹島(トクト)は南朝鮮の物だ」と落書きしたり、観光案内板などに「対馬は南朝鮮の領土」と書かれても、お人好しな対馬市民はニコニコと笑ってる。
友好だとして在日朝鮮人2人と中国人1人を、市職員に採用して犯罪者を手引きしてるのだろうか?。
過去の文献などを紐解くと、朝鮮半島の内戦や略奪・破壊などから守る為に日本に平和的に保護や譲渡したと、書かれていたり言い伝えがあると記されているものも多い。歴史的に過去に遡って「言い掛かり」をつけるなら、大英博物館など世界中の博物館や美術館は大混乱になるだろう。私は南朝鮮を論ずる会議に関わっているが、2ちゃんねるで売国奴と言われている南朝鮮贔屓の議員や外務省官僚の、肩身も狭そうだね。
南朝鮮人や犯罪者を擁護したり、かばい立てする議員やマスゴミが益々南朝鮮離れを引き起こしている事に、何故気付かないのだろう?。
♦倭寇 - Wikipediaより。
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E5%80%AD%E5%AF%87
倭寇(わこう)とは、一般的には13世紀から16世紀にかけて朝鮮半島や中国大陸の沿岸部や一部内陸、及び東アジア諸地域において活動した海賊、私貿易、密貿易を行う貿易商人の事である。和寇と表記される場合もある。
また海乱鬼(かいらぎ)とも呼ばれる。
♦朝鮮半島から流出した文化財の返還問題
Wikipediaより。
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E6%9C%9D%E9%AE%AE%E5%8D%8A%E5%B3%B6%E3%81%8B%E3%82%89%E6%B5%81%E5%87%BA%E3%81%97%E3%81%9F%E6%96%87%E5%8C%96%E8%B2%A1%E3%81%AE%E8%BF%94%E9%82%84%E5%95%8F%E9%A1%8C
朝鮮半島から流出した文化財の返還問題とは、韓国が日本統治時代の朝鮮から流出した文化財の返還を日本やフランスなどに求めている文化財返還問題。日本は1965年の日韓基本条約の「文化財及び文化協力に関する日本国と大韓民国との間の協定」により、日韓における文化財の返還が完全かつ最終的に解決済みであり、また正式の手続きにより入手した文化財に返還義務はないとするのが基本的な立場であったが、2010年の菅直人首相(当時)の菅談話によって正式に古物商から購入したものも含む朝鮮王室儀軌1205点の引渡し(韓国側は返還と表記)を決定した。それ以降も韓国は、他の略奪されたと主張する文化財の返還要求を行っている。
他方、日本の寺社で盗難の被害にあった仏像と同一のものが韓国で国宝に指定されるなどの事件(対馬仏像盗難事件など)が発生し、日本は文化財不法輸出入等禁止条約に基づき調査や返還を要求したが、韓国政府にいずれも拒絶された。
(韓国国宝284号に指定された安国寺高麗版大般若経は2001年に時効成立)。
▲終戦直後の返還要求
終戦直後の1945年10月、朝鮮の団体震檀学会が、日本とGHQに対して「日帝によって略奪された文化財」の返還を要求したが、成果はなかった。
1951年9月に日本国との平和条約が調印されてから、アメリカの斡旋で日韓は国交正常化交渉を10月20日に開始した。
その後1951年10月24日、旧王室財産管理委員会は、日本が侵略した際に旧王室の財産が略奪されたと報告した。
▲日韓国交正常化における文化財返還交渉
当時の日韓会談における文化財返還の交渉の過程は以下の通りである。
1952年1月9日、日韓会談直前に日本側から「日韓の雰囲気をよくするため」の文化財返還が提示された。
第1次会談(1952年2月15日~4月25日)
1952年2月21日の第1回財産請求権委員会で韓国側が韓日財産及び請求権協定要綱で「韓国より運び来りたる古書籍、美術品、骨董品、その他国宝、地図原版及び地金と地銀を返還すること」と提示された。
これについて韓国側は2月23日、「不自然な方法、奪取のごとき、韓国民の意思に反して搬出された」と規定した。
第2次会談(1953年4月15日~7月23日)で韓国は韓国国宝などの目録を提示し、日本は調査中と答弁した。
第3次会談(1953年10月6日~10月21日)
1953年4-7月の非公式会談で広田アジア局第2課長は日本渡来の経緯に種々あり、古く渡来したものもあれば正当な価格で購入したものもあるので、これを網羅的にとりあげることは困難と答弁した。
1953年10月の会談でも日本は「文化財の大部分は明治以前に正当な手段で日本に搬入された」と主張した。日本国内の議論では文部省が返還する義務がないとして反対した。1953年10月15日の会談で、韓国側が、日本の在韓財産はアメリカが接収したのであり本来なら韓国は36年間の日本の支配下での愛国者の虐殺、韓国人の基本的人権の剥奪、食料の強制供出、労働力の搾取などへの賠償を請求する権利を持っていると述べたところ、久保田貫一郎が日本は植林し、鉄道を敷設し、水田を増やし、韓国人に多くの利益を与えたし、日本が進出しなければロシアか中国に占領されていただろうと反論し、また米国による日本人資産の接収は国際法に違反していないと考えるし、違反してたとしても米国への請求権は放棄したと回答した。久保田貫一郎が韓国側は「植民地支配は韓国に害だけを与えたと考えている」と指摘したところ、久保田妄言として韓国で批判された。
朝日新聞は2013年6月15日記事で日韓交渉を決裂させた原因として非難した。
当時、韓国は「久保田妄言」への報復として李承晩ラインを設定し、竹島を占領した。第4次会談(1958年4月15日~1960年4月15日)1958年4月16日、日本は東京国立博物館の106点の文化財を韓国に返還したが、韓国側は資料的価値の低いものと評価して、韓国には歓迎されなかった。1958年6月4日、日本は韓国側の気持に同情的であると述べたが、10月には全文化財の引渡は不可能とのべた。第5次会談(1960年10月25日~1961年5月15日)では専門家会議がはじめて実施され、韓国の不法に持ち去られたという主張と日本の反論が繰り返された。日本側が正当な手段で入手したと主張すると、韓国側は「正当な取引であるとしても、その取引自体が植民地内でなさえた威圧的な取引であった」と答えた。第6次会談(1961年10月20日~1964年10月4日)
第7次会談(1964年12月3日~1965年6月22日)
▲文化財及び文化協力に関する日本国と大韓民国との間の協定
1965年6月22日、日本と韓国は「歴史的な関係を考慮して」、日韓基本条約で文化財及び文化協力に関する日本国と大韓民国との間の協定を結んだ。これにより日韓間における文化財の返還問題に関しては法的に最終的に決着した。協定は御名御璽に続いて内閣総理大臣佐藤栄作、椎名悦三郎外相、高杉晋一首席代表、大韓民国外務部長官李東元、駐日大使金東祚、文部大臣中村梅吉、郵政大臣郡祐一が署名した。1965年(昭和40年)12月18日公布された。