午前中に北朝鮮が新型ミサイルの発射を試みたが、失敗した模様。


情報収集中。


日本の自衛隊も失敗を確認。


北朝鮮の被害状況は、現時点では不明。


ミサイルは空中爆発をした模様。


日本には、失敗による影響は無し。




ニュース速報が出ましたね。



■北朝鮮がミサイル発射し失敗 韓国国防省
NHKニュースより。
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20170322/k10010920141000.html

3月22日 12時09分

韓国国防省は、北朝鮮が22日午前、東部のウォンサン(元山)付近からミサイル1発を発射したものの、失敗したと推定されると発表しました。

韓国軍がミサイルの種類などについて、分析を急いでいるということです。

北朝鮮は、先月12日、SLBM=潜水艦発射弾道ミサイルを地上配備型に改良した新型の中距離弾道ミサイル1発を、北西部から日本海に向けて発射したのに続いて、今月6日には、北西部から中距離弾道ミサイルスカッドERとみられる4発を日本海に向けて同時に発射し、このうち3発が日本の排他的経済水域に落下しました。


▲官房長官 重大な関心持ち情報収集

菅官房長官は、午前の記者会見で、「わが国に飛来するミサイルなどは確認されておらず、わが国の安全保障に直接の影響を及ぼす事態が発生しているという認識はない」と述べました。

また菅官房長官は、記者団が「発射が失敗したということか」と質問したのに対し、「重大な関心を持って情報収集・分析に努めているが、事柄の性質上、具体的な内容は控えたい」と述べました。

さらに菅官房長官は、「政府は国民の生命・財産を守るのが最大の役割であり、特に北朝鮮については、最大限の高度な監視体制を常に持って、緊張感を持って当たっている」と述べました。




♦平成29年3月22日(水)午前
官房長官記者会見 | 記者会見内容
首相官邸ホームページより。

http://www.kantei.go.jp/jp/tyoukanpress/201703/22_a.html




■北朝鮮がミサイル発射も失敗 空中爆発か
聯合ニュース - Mobileより。
http://m.yna.co.kr/mob2/jp/contents_jp.jsp?cid=AJP20170322002500882&domain=6&ctype=A&site=0100000000

2017-03-22 12:24

【ソウル聯合ニュース】
北朝鮮が22日、東部の江原道・元山付近らミサイルを発射したものの、失敗したことが分かった。

韓国国防部は、北朝鮮がこの日午前にミサイルを発射した可能性があるとする日本・共同通信の報道と関連し、「北が元山の飛行場付近からミサイル1発を発射したが、失敗したと推定している」と伝えた。

また「その他の詳細は確認、分析中だ」とした。







★ランチ中で~す。


チャーハンにしました(笑)。






































■地下鉄サリン事件から22年 霞ケ関駅で慰霊式
NHKニュースより。

http://www3.nhk.or.jp/news/html/20170320/k10010918021000.html?utm_int=news-social_contents_list-items_006

3月20日 11時58分

オウム真理教による地下鉄サリン事件から22年の20日、現場となった東京の地下鉄・霞ケ関駅で犠牲者を追悼する慰霊式が行われました。

平成7年3月20日に起きた地下鉄サリン事件では、朝の通勤ラッシュで混雑する地下鉄の車内に猛毒のサリンがまかれ、13人が死亡し、およそ6300人が被害を受けました。

事件から22年の20日、現場の1つとなった地下鉄・霞ケ関駅の構内では、事件の発生時刻とほぼ同じ午前8時に駅の職員20人余りが犠牲者をしのんで黙とうをささげました。

また、駅の事務室には献花台が設けられ、関係者や被害者の遺族などが花を手向けていました。

霞ケ関駅の助役だった夫を亡くした高橋シズヱさん(70)は「被害者や遺族だけでなく、加害者の家族など大勢の人がつらく悲しい思いをしています。事件を知らない若い人には、自分の判断だけでカルト集団に入ることや、他人に判断を委ね、大勢の人を傷つけることが、どういう結果になるのか知ってほしい」と話していました。

オウム真理教による地下鉄サリン事件では、事件に関わった10人の死刑が確定したほか、実行犯の送迎役で17年にわたって逃亡を続けていた高橋克也被告(58)が、去年、2審で無期懲役を言い渡され、最高裁判所に上告しています。


▲被害者「自分が伝えていかなければ」

22年前、通勤で乗っていた地下鉄の車内で目の前にサリンの袋を置かれ、被害に遭ったという70歳の男性も20日、霞ケ関駅を訪れ献花台に花を手向けました。

男性は「当時、急に目の前が暗くなってサングラスをかけているような状態になり、頭も痛くなりました。今でも目の疲れなど不調を感じることがあります。若い世代と話していると事件のことを知らない人が多く、あれだけの大惨事が起きたことを自分が伝えていかなければいけないと思う」と話していました。






★同時多発的に一般市民が次々に倒れたり、その場に崩れ落ちていった。


当初の内は「サリン事件」とは警察・消防関係者も気付かず、救護に当たったり不用意にサリンの残留物を触り絶命した職員もいました。


「爆発が有って負傷者多数」とか、「刺激物がまかれた」などの情報が錯綜した。


恐らく自衛官の中でも教範で習った「化学兵器」が実際に使われるなど、想像だにしなかっただろう。


そして自衛官は新隊員過程で催涙ガスを薄めたものを、天幕(テント)の中に満たした部屋に「防毒マスク」を装着して入室して、教官の号令でマスクを外すと「目からは涙」が「鼻からは鼻水」が、「口からはヨダレ」が大量に溢れて10秒も持たず部屋から転がり出た。


近くの水道水で顔を洗ったが、顔面の「ヒリヒリ」感や目の充血や痛みは1日以上続いた。


本物の化学兵器では無いから大丈夫だったが、防毒マスクの大切さを身を持って感じた。


地下鉄サリン事件の前にもオウム真理教は、化学兵器や細菌兵器を殺人事件に利用していた。


しかし表向きは「宗教」を隠れ蓑にしていた為に、捜査や事情聴取には慎重姿勢になるしか無かった。


法律的には、手出し出来なかったのだ。


危険を察しながら、大規模テロが起こるまで何も出来なかった。



早い時期に私の居た「入間基地」にも警察官(機動隊)が、宿泊をしながら「防毒マスク」の装着訓練や化学・細菌兵器の座学を受けていた。


私はABC兵器の専門職で無かったが司令部に近い要員だったので、座学の資料を配ったり防毒マスクや防護服の装着などのサポートをしました。

*ABC兵器「核(アトミック)・細菌(バイオ)・化学(ケミカル)」とP空挺(パラシュート)もある。


そんな中で行った「地下鉄での事件」だったので、化学テロだと直感した。


暫くすると上級部隊から、隊員の所在(安否)確認の指示がでました。


当時は携帯電話は無く、ポケットベルが出始めた頃だったと思います。


連絡手段は下宿の電話や、隊員が自家用車や自転車で一人一人を確認に伝令を出した。


近くのスーパーやゲームセンターなどの繁華街には、店内の一斉放送で「非常呼集」を伝える暗号を伝えて貰った。


私の部隊は、全員の所在確認に4時間を要した。


私の部隊はシフト制だったので「3分の1」は休養日で、平日でも外出者が多かったからだ。


そして顔見知りになった機動隊の幹部から、17日の時点で「オウム真理教」への強制捜査は、3月22日に行くと決まっていたと聞かされていた。


3月22日 警視庁が、公証人役場事務長・逮捕監禁致死事件でオウム真理教信徒の逮捕状を取り、上九一色村の教団施設など1都2県の施設25カ所を一斉家宅捜索。


上九一色村などに、化学薬品に敏感な小鳥の「カナリア」を携えて、強制捜査に当たっていた機動隊の無事を心から祈った。




明日(21日)、閣議決定される予定のテロ等組織犯罪準備罪(テロ等準備罪)として第193回国会に提出する予定です。


通称「共謀罪」は必要だと痛感しています。


通常の捜査は過去の出来事を調べるものだが、オウム真理教事件では目前で新たな事件が次々に起こっており、新たなテロを食い止める必要があったためにあらゆる法律を駆使した、ぎりぎりの判断を迫られるような戦争に近いものであった。


今の刑法では、想定外や抜け道が多すぎる。











♦地下鉄サリン事件 - Wikipediaより。
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E5%9C%B0%E4%B8%8B%E9%89%84%E3%82%B5%E3%83%AA%E3%83%B3%E4%BA%8B%E4%BB%B6

地下鉄サリン事件(ちかてつサリンじけん)とは、1995年(平成7年)3月20日に、東京都の帝都高速度交通営団で、宗教団体のオウム真理教が起こした神経ガスのサリンを使用した同時多発テロ事件で、死者を含む多数の被害者を出した。

警察庁による正式名称は「地下鉄駅構内毒物使用多数殺人事件」である。

この事件は日本だけでなく、世界にも大きな衝撃を与えた世界初のバイオテロである。

毎日新聞では、坂本堤弁護士一家殺害事件、松本サリン事件と並んでオウム「3大事件」と表現している。


▲緊急処置

事件発生後の8時10分、日比谷線は複数の駅で乗客が倒れ、また運転士から爆発事故との通報を受け、築地駅と神谷町駅に多くの緊急車両が送られた。

次第に被害が拡大したため営団は8時35分、日比谷線の全列車の運転を見合わせ、列車・ホームにいた乗客を避難させた。

一方で千代田線・丸ノ内線では不審物・刺激臭の通報のみで、更に被害発生の確認が遅かったため、運行が継続された。

9時27分、営団地下鉄のすべての路線で全列車の運転見合わせを決定した(当時営団地下鉄の他路線との接続がなかった南北線も含む。副都心線は有楽町線併走区間を除いて未開業)。

その後、全駅・全列車を総点検し、危険物の有無を確認した。

被害者が多く発生した霞ケ関・築地・小伝馬町・八丁堀・神谷町・新高円寺のほか、人形町・茅場町・国会議事堂前・本郷三丁目・荻窪・中野坂上・中野富士見町の13駅にて救護所を設置し、病院搬送前の被害者の救護に対応した。

大混乱に陥った日比谷線は終日運転を取りやめることになり、丸ノ内線・千代田線については被災車両を車庫や引込み線に退去させたのち、霞ケ関駅を通過扱い(停車はするがドアの開閉はしないでそのまま発車)して運転を再開したが、サリンが散布されたことが判明して自衛隊による除染作業の必要が生じた。

そのため正午から約数時間、丸ノ内線は銀座駅 - 四谷三丁目駅間、千代田線は大手町駅 - 表参道駅間を部分運休した(このとき、霞ケ関駅の引込み線にあった千代田線の被災車両も松戸電車区(現在の松戸車両センター)まで回送されている)。

除染作業終了後はほぼ所定どおりのダイヤで運転を再開したが、終電まで霞ケ関駅を通過扱いする措置をとった。

上記3路線以外の路線は確認を終えた路線から順次運転を再開させたが、全駅、全列車に警察官、警備員などが配置される異例の事態となった。


▲救助活動
東京消防庁は化学機動中隊・特別救助隊・救急隊など多数の部隊を出動させ被害者の救助活動や救命活動を行った。

東京消防庁はこの事件に対して救急特別第2、救助特別第1出場を発令、延べ340隊(約1,364人)が出動し被害者の救助活動・救命活動を展開した。

警視庁では東京消防庁との連携の下、警察当局としてもまずは機動隊を出動させ被害者の救助活動と後方の警戒にあたった。

当初は「地下鉄で爆発」「地下鉄車内で急病人」など誤報の通報が多くサリンによる毒ガス散布が原因とは分からなかったため、警察も消防も無防備のまま現場に飛び込み被害者の救出活動を行った。

現場では、東京消防庁の化学災害対応部隊である化学機動中隊が、原因物質の特定に当たったが、当時のガス分析装置にはサリンのデータがインプットされておらず、溶剤のアセトニトリルを検出したという分析結果しか得られなかった。

(ただし、サリンの溶剤としてアセトニトリルが使用されていた可能性がある)

さらに、この分析結果は、「化学物質が原因の災害である」ことを示す貴重な情報であったにもかかわらず、全現場の消防隊に周知されるまで、時間を要した。


▲警察・検察

警察庁では午前9時に対策本部を設置した。

警視庁でも井上幸彦警視総監をトップに対策本部を設置。

警視総監が事件の総合調整と捜査の総指揮を行った。

対策本部には警視庁刑事部長、刑事部参事官・捜査一課長・捜査一課理事官・捜査一課管理官など主だった刑事部幹部と捜査幹部が招集され警備公安警察の各部長も招集された。

通常の捜査は過去の出来事を調べるものだが、オウム真理教事件では目前で新たな事件が次々に起こっており、新たなテロを食い止める必要があったためにあらゆる法律を駆使したぎりぎりの判断を迫られるような戦争に近いものであった。

「警察が強制捜査に着手したのは地下鉄サリン事件の2日後だが、オウム真理教の全体像すらつかめない中での捜査であり、1ヶ月後には捜査は行き詰っていた。」

「サリンをまいた実行犯すら分からず、松本智津夫ら幹部を逮捕する容疑が見つからなかった。」

ゴールデンウィークが迫る頃には政府から警察に対し安全確保の要請が来た。

東京ドームや新幹線でサリンを撒かれると政権が倒れるという理由であった。

「こうした危機感の中、実行犯の1人の林郁夫が取り調べていた検事に対し地下鉄サリン事件の役割分担などの概要を自白し、自筆でメモに記した。」

「このメモで捜査は一気に進み、5月の一斉逮捕にこぎつけた。」

「この頃にはすでに新宿駅青酸ガス事件、都庁爆弾事件などが相次いでいた。」


▲鑑識
警察と消防が救出活動を行っている最中、捜査当局も救出活動と並行しつつ現場検証を行った。

警視庁鑑識課が現場へ急行し、散布された液状サリンのある地下鉄内に入って地下鉄車両1本を丸ごと封鎖し現場検証を開始した。

警察官が発見した事件現場の残留物の一部は、警視庁科学捜査研究所へ持ち込まれた。

鑑定官が検査するとその毒物が有毒神経ガス「サリン」であると判明。

この情報は、午前11時の捜査一課長による緊急記者会見などを通じて関係各所へ伝達され、医療機関は対NBC兵器医療を開始した。


▲救命活動
東京消防庁・病院 

東京消防庁には事件発生当初、「地下鉄車内で急病人」の通報が複数の駅から寄せられた。

次いで「築地駅で爆発」という119番通報と、各駅に出動した救急隊からの「地下鉄車内に異臭」「負傷者多数、応援求む」の報告が殺到したため、司令塔である災害救急情報センターは一時的にパニック状態に陥った。

この事件では特別区(東京23区)に配備されているすべての救急車が出動した他、通常の災害時に行われている災害救急情報センターによる傷病者搬送先病院の選定が機能不全となり、現場では、救急車が来ない・救急車が来ても搬送が遅いという状況が見られた。

緊急に大量の被害者の受け入れは通常の病院施設では対応困難なものであるが、大きな被害の出た築地駅至近の聖路加国際病院は当時の院長日野原重明の方針から大量に患者が発生した際にも機能できる病院として設計されていたため、日野原の「今日の外来は中止、患者はすべて受け入れる。」との宣言のもと無制限の被害者の受け入れを実施、被害者治療の拠点となった。

又、済生会中央病院にも救急車で被害者が数十名搬送され、一般外来診療は直ちに中止。

その後、警察から検証の為にとの理由で、被害者の救急診療に携わった病院スタッフの白衣などが押収された。

虎の門病院も、数名の重症被害者をICU(集中治療室)に緊急入院させ、人工呼吸管理、大量のPAM投与など高度治療を行うことで治療を成功させた。

また、翌日の春分の日の休日を含め特別体制で、数百人の軽症被害者の外来診療を行った。

また、聖路加国際病院から「大量のプラリドキシムヨウ化メチル(PAM)が必要」と連絡を受けた薬品卸会社は、首都圏でのPAMの在庫が病院も含めほとんどなかったことから、西日本の各営業所および病院、診療所にストックしてあるPAMの在庫を東京に緊急輸送する為、東海道新幹線に社員を乗せ、停車駅ホームで在庫のPAMを受け取って輸送する緊急措置を取り、陸上自衛隊衛生補給処からもPAM 2,800セットが送られた。

またPAMを製造する住友製薬は、自社の保有していたPAMや硫酸アトロピンを関西地区から緊急空輸し羽田からはパトカー先導にて治療活動中の各病院に送達した。

PAMは赤字の医薬品であったが、系列の住友化学にて有機リン系農薬を製造していたため、会社トップの決断で、有機リン薬剤を作っている責任上解毒剤も用意しておくのは同社の責任だとして毎年製造を続けていた。

有機リン系農薬中毒の治療に必要なPAMの本数は一日2本が標準であるが、サリンの治療には、2時間で2本が標準とされる。

当時サリン中毒は医師にとって未知の症状であったが、信州大学医学部附属病院第三内科(神経内科)教授の柳澤信夫がテレビで被害者の症状を知り、松本サリン事件の被害者の症状に似ていることに気付き、その対処法と治療法を東京の病院にファックスで伝えたため、適切な治療の助けとなった。

一方で、「急病人」「爆発火災」「異臭」という通報で駆けつけた警察官や消防官の多くは、サリンに対してはまったくの無防備のまま、地下鉄駅構内に飛び込み、救急救命活動に当たったため、多数の負傷者を出した。

この事件は、目に見えない毒ガスが地下鉄で同時多発的に散布されるという状況の把握が非常に困難な災害であり、トリアージを含む現場での応急救護活動や負傷者の搬送、消防・救急隊員などへの二次的被害の防止といった、救急救命活動の多くの問題を浮き彫りにした。



▲自衛隊
陸上自衛隊では、警察に強制捜査用の化学防護服や機材を提供していた関係上、初期報道の段階でオウムによるサリン攻撃であると直ちに判断。

事件発生29分後には自衛隊中央病院などの関係部署に出動待機命令が発令され、化学科職種である第101化学防護隊、第1・第12師団司令部付隊(化学防護小隊)及び陸上自衛隊化学学校から教官数人が専門職として初めて実働派遣された。

除染を行う範囲が広範囲であったため、第32普通科連隊を中心とし各化学科部隊を加えた臨時のサリン除染部隊が編成され、実際の除染活動を行った。

また、自衛隊では警察庁の要請を受けて、自衛隊中央病院及び衛生学校から医官21名及び看護官19名が、東京警察病院・聖路加国際病院等の8病院に派遣され、硫酸アトロピンやPAMの投与や、二次被曝を抑制する除染といったプロセスを指示する『対化学兵器治療マニュアル』に基づいて、治療の助言や指導を行った。

幸い自衛隊中央病院から駆けつけた医官が直前の幹部研修において化学兵器対応の講習を受けており、現場派遣時とっさに講習資料を持ち出し、到着した聖路加病院で講習で得た知識・資料と患者の様子から化学兵器によるテロと判断し、PAMや硫酸アトロピンの使用を進言したのも早期治療に繋がった。

なお、自衛隊では関東周辺の陸上自衛隊各部隊に対し非常呼集対応を行なったものの、実働は本稿に記載されているように、最小限の部隊の配属のみが実施されている。


























↑犯罪者へ支援として、1350万円を寄付










♦森友学園のTwitterより
https://twitter.com/moritomogakuen1?s=09

当園に関わる報道について 


2年前に稲田防衛大臣とお会いしたことは事実です 

28年10月 防衛大臣表彰式は大阪國學院の通信の授業の為 代理が出席致しました。

なお、赤旗新聞訂正記事には 森友学園側が事実と異なる証言をしたと記載されておりますが そのように答えたことは一切ありません



♦菅野完 氏のTwitterより。
https://twitter.com/noiehoie?s=09

「人生は何事も為さぬには余りに長いが、何事かを為すには余りにも短いなどと口先ばかりの警句を弄しながら、事実は、才能の不足を暴露するかもしれないとの卑怯な危惧と、刻苦を厭う怠惰とが己の凡てだったのだ。」
住所:東京都港区南麻布4-12-9-101
電話:090-××14-67××
(Twitterには、電話番号が記載されてる)


これはもう、松井一郎大阪府知事によるハラスメント。

松井一郎、マジでクソだな。

公人の資格、一切なし。

https://t.co/8bYO5ZIpnc






★公文書を知事個人名の茶封筒で送付したと言うのかなぁ?。


名前 籠池諄子(かごいけ じゅんこ)
本名 籠池真美
生年月日 不明(公式発表なし)
年齢 60代
身長 160cm前後
出身地 関西


籠池諄子氏は森友学園の創立者である森友寛氏の娘で、夫の籠池泰典氏と結婚後・1995年に父が亡くなり、専業主婦として子育てして来ましたが、塚本幼稚園の副園長となり経営にも関わるようになった。


▲森友学園の簡単な歴史

1950年4月1日
塚本幼稚園が創立。


1953年8月25日
大阪府の認可を受けた。


1971年3月18日
学校法人森友学園が設立され、塚本幼稚園は学校法人格を有する日本初の幼稚園となった。


2011年
肇國舎高等森友学園保育園を設立。


2017年4月
小学校瑞穂の國記念小學院の開校を予定していたが、取り消し


籠池諄子氏の本名は上のプロフィールでも紹介したように、「籠池真美」で籠池諄子というのは通名ということになります。


▲通名とは
戸籍上の本名に対して、正式名称ではないが世間で通ずる名前

通名を名乗って社会生活をするのは、今の時点で法的制約はないが通名を使用し法的行為は原則として有効に行えない。


普通通名を使う理由として考えられるのは、

何らかの犯罪を起こした場合、実名で報道されない為

過去の経歴・学歴を隠したい為

社会的制裁を免れる為

在日特権で在日朝鮮人が、生活保護費の不正受給や脱税に使い分ける為。



▲籠池諄子氏に関しては、逮捕歴があるとの報道がありますね。


大阪の森友学園の籠池泰典理事長の妻で幼稚園の副園長(籠池諄子氏)が、7年前に近くの小学3年の男の子を殴り、逮捕されていたことが分かりました。


子どもの父親は「いまも怒りがおさまらない」と番組の取材に当時の様子を語った。


現場は、大阪市住之江区の当時の開成幼稚園の前。


男の子はいつものように小学校へ出かけたが、10分もしないうちに顔を真っ赤に腫らして泣きながら帰ってきた。


通学途中の幼稚園の前で、副園長に殴られたという。


父親はすぐ幼稚園に向かうが、副園長に「あいさつできん子を、どついて何が悪いんじゃ」と言われ、理事長に抗議すると「なんやとー。どついて何が悪いんじゃ。これが園の方針なんじゃ」と謝りもしなかった。


父親は警察に連絡したが、副園長が警察の呼び出しを拒否したためか、逮捕まで約10ヶ月かかったと言う。


通名を使うのは逮捕歴を隠すためだったのでしょうか?


籠池理事長にも虚偽が、一杯ありますね。


関西大学法学部卒業しているということだったのですが、実は法学部ではなく『商学部』だった様です。


大学を卒業してから自治省(現在の総務省)から奈良県に出向したらしいのですが、これも違う様ですね。


自治省に入省した事実は無く、関西大学卒業後はそのまま奈良県庁に採用されていたらしいです。


こういう人物には、まだまだ真実が出て来るかも知れませんね。


籠池泰典理事長は、経営する幼稚園で教育勅語を朗唱(大きな声で読み上げること)をさせたりする。


エセ右翼が街宣車で軍歌を大音量で鳴らし、結果的に右翼活動をオトシメル事と同じか?。


在日朝鮮人の妻と共に何故、韓国人二世と言われているんでしょうか。


ここで使用している籠池泰典という名前は、ほんとは通名なんですよね。


本名は「籠池康博」だそうです。


まだもう一つ通名をお持ちだそうで、どの通名をどこで使い分けていらっしゃるのか、ご本人ですらわからない状態なんじゃないでしょうか。



籠池泰典氏のプロフィールはこのようになっています。
【籠池泰典のプロフィール】
・本名 籠池康博
・通名 籠池泰典・籠池靖憲
・生年 1954年(昭和29年)
・年齢 62か63歳
・出身 香川県高松市
・出身大学 関西大学


籠池康博というのが本名で籠池泰典という名前と籠池靖憲という3つの名前を使い分けて使用しています。


現在では籠池泰典がメインとなっています。


どういう意味なのか全く分かりません。


この辺から疑問符?が、ついてきますね。


籠池生まれは香川県高松市とのこと。


右翼の街宣カーが、軍歌を高らかに鳴らして行き来するのが目に付く県でもあります。


自分の生まれた地域の影響があってか籠池泰典氏も右翼的な考え方に傾倒していったのでしょうか?。


籠池泰典という人物と思想

籠池泰典氏は関西大学を卒業後、奈良県庁に入庁しています。


なんでもこの奈良県庁に入るということは、相当なエリートでないと無理と言われています。


普通は特別枠の人しか入庁できないとのこと。


その頃は優秀な方だったということがわかります。


籠池泰典氏は入庁して3年後の昭和54年に結婚していますが、実は籠池泰典氏は嫁の父親と旧知の深い関係がありました。


森友学園の創始者「森友 寛」氏で、娘の婿に当たるのが籠池泰典氏です。


ですから義父に当たります。


今回、安倍晋三・昭恵ご夫婦を巻き込んだ例の森友学園の創始者・森友寛氏が園長当時は思想的には、そうでもなかったようです。


園長の森友寛氏は愛国心教育を根本としていた方で森友学園を立ち上げ、そして国内初の私立幼稚園にした経歴の持ち主でした。


この森友氏との出会いをきっかけに籠池泰典氏は右翼思想に傾倒していき、森友氏の娘である今の嫁(副園長)と結婚し、結婚を機に森友氏の思想以上に右翼的な教育方針をとるようになっていきました。


その後は義父が経営する幼稚園の副園長となり、そこからさらに愛国教育の傾向が強くなって、今に至るわけです。


籠池泰典はロータリークラブに所属?

籠池泰典氏は、大阪西ロータリークラブという団体に所属しているという情報があります。


これだけの地元に密着した学校関係の仕事をするにはロータリークラブという肩書は、とても便利に利用できたのではないでしょうか。


ロータリークラブは、アメリカ・シカゴに誕生したクラブです。


その目的は以下のように定義づけられています。


ロータリーは、人道的な奉仕を行い、あらゆる職業において高度の道徳的水準を守ることを奨励し、かつ世界における親善と平和の確立に寄与することを目ざした、実業人および専門職業人が世界的に結び合った団体である。


要約すれば、「それぞれが持つ専門的な知識を用いて、社会のために奉仕する団体」ということになりますね。


このロータリークラブは全世界に広がっていますが、籠池泰典氏は大阪西ロータリークラブに所属しています。


ロータリー籠池泰典氏が所属しているということは、さぞ右翼的な団体なのか?と思いましたが、そうではないようです。


大阪西ロータリークラブは東北の震災に対する支援だったり、病気に苦しむ子供達を援助していたりと、本来のロータリーの理念に沿ってしっかりと活動しているようです。


籠池泰典氏は、純粋に「教育」という自らの専門的知識を基礎として、大阪西ロータリークラブに所属しているのでしょうか?。


過去に籠池泰典氏はこのリータリークラブの集会でスピーチを行なっており、そこでは持ち前の愛国思想を熱心に説いていたと言われています。


エセ右翼として、内閣総理大臣をも巻き込み「用日」してる。

マスゴミや野党は早々と、泥船から逃げ始めましたね。


在日朝鮮人は味方以外は過激に攻撃し、自分が優位に立ちたがり、その為には同じ朝鮮人同士でも粛正する過激思想を持つ。


最近の南朝鮮のゴタゴタ(朴槿恵氏の問題)を見ても解ります。


1滴でも・1人でも朝鮮人が絡めば、悪夢が始まる。


いずれにせよ、23日の「証人喚問」では何を語るのでしょうか?。